暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

神道と仏教

外部研修で神保町に行ったので、帰りに三省堂書店に寄ったら古本市が8Fで開催されていました。

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 500円で売っていたので購入。

 昭和23年の座談会「神道と仏教」が収録されていて、やり取りが面白いので少しご紹介。参加者は、臼田甚五郎、折口信夫和歌森太郎、座田司氏、横山秀雄、小野祖教。

折口:インテリゲンチアを当てにして宗教はできないと思いますね。・・・いつでもインテリ以下のものに対象をおく必要があると思います。
大拙:インテリ以下ということは好かないな。インテリ以上といってよかろうな。宗教というと愚民相手のように考えるけれども、私はそうは思わん。愚民というものはインテリゲンチアよりも大いにいいところがある。

 

大拙神道は元来、武の神様が多い。八幡様は第一そうだ。・・・鉄砲や原子爆弾も八幡様になるかもしれませんけれども、八幡様に行って「どうぞお助け」ということはない。キリスト教でいうような救われたいと思うような神様が日本にない、神道にそれがない。・・・日本の八百万の神様の中では、ゆるすということをする神があるかどうか、神様をけとばしても、そのけとばした者をゆるすという神様がいらっしゃるかどうか。

座田:八幡様は・・源氏の氏神とあがめさせられたのですが、まだその当時には武の神の性格というものはおもちになっておらなかった。・・もともと八幡様の性格といたしましては、どうしてもこれは海の漁の神様、農耕の神様であり、鍛冶の神様であるとあると考えております。

八幡様は不思議な神様。ここで、栗本先生に登場頂きましょう。

神道国際学会 神道フォーラム Vol.49 

島田祐巳 著『なぜ八幡神社が日本で一番多いのか』書評

本書での主要論点は、神社本庁傘下の約8万の神社のうち、二位(伊勢信仰系、約4400)をはるかに引き離して数的な一位に立つのが八幡神社系7800であるということ、そしてこれが『古事記』にも『日本書紀』にも記載されない起源を持っていることだ。・・・また、八幡信仰は8世紀に突然登場して以来、応神天皇崇拝と習合していきなり高い格が与えられたりしたし、・・・八幡信仰は八幡神への信仰を柱とする一神教信仰の性格があった。これは他の神道に比べてある種欧米的というか特殊であるのだが、・・・島田氏は結論として八幡信仰は朝鮮半島由来の外来神ではないかと述べられる。これは驚くべき結論である。・・・評者は八幡信仰が仏教や天皇崇拝と習合していったから浸透したのではなくて、その前に民衆の精神に根付くものを持っていたからこそ逆に習合「された」のではないかと考えているが・・・

 僕ら日本人は自分達のことが今ひとつよくわかっていない。

 

星を継ぐもの

 

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

 

 図書館で借りて、恥ずかしながら初めて読みましたよ、ええ、この傑作を。

@okemos_PESさんが#sfjpnタグで紹介していたこのブログに引用されているこのブログ「SF小説「星を継ぐもの」が紛れもない史上最高傑作である理由。【GW推薦図書】」がとても面白かったので、ご指示通り(?)GW推薦図書vol.2にしたのです。

幼年期の終わり』を昨日初めて読み『星を継ぐもの』を今日初めて読んだという、なんて素敵で贅沢なGW(いや、おせーよ)。

栗本慎一郎とのリンケージという点では『幼年期の終わり』が面白いけれど、昨日のブログで書いた"生への執着を描く"という点では『星を継ぐもの』に軍配が上がる。いろいろな部分的事実から整合的な包括的全体像を紡いでいく発見のプロセスもマイケル的でgood。

仕事の傍らデビュー作としてこんなスゴい作品を書き上げてしまうホーガンには脱帽するばかり。

あらすじは・・・上記ブログやネットをググるといくらでも良い書評があるので割愛。

原題の"Inherit the stars"、心に染みるタイトルだなぁと思う。いくつかの星の生命の継承者としての人類。過去と未来を繋ぐ特別な存在としての人類。こういう感覚を思い切り相対化してくるアーサー・C・クラークって・・・。

本書はあの星野之宜がマンガ化しているようだ。amazonでポチっちゃおうかな。 

星を継ぐもの 1 (ビッグコミックススペシャル)

星を継ぐもの 1 (ビッグコミックススペシャル)

 

 で、次に読みたいと思っているSFはこれ。明日もまた図書館行こう。 

月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)

月は無慈悲な夜の女王 (ハヤカワ文庫 SF 1748)

 

 

 

 

幼年期の終わり

 

 図書館で借りて、恥ずかしながら初めて読みましたよ、ええ、この名作を。

@okemos_PESさんが#sfjpnタグで紹介していたこのブログがとても面白かったので、ご指示通り(?)GW推薦図書にしたのです。

  1. まず、65年も前に(1953年)本書を書き上げたクラークの想像力と直観には脱帽です。上帝(Over Lord)に上霊(Over Mind)とは。
  2. 人類全体が「未来の記憶=予感」を「過去の記憶」として共有するなんて話も、痺れるね。
  3. クラークの(科学的知識に裏打ちされた)想像力と直観の産物であるこの物語が半世紀以上人類に好まれ続けているという事実は、僕らのこの「予感」に何らかの根拠を与えてくれそうで少し恐い。「宇宙が人類のための場所ではないことを知っ」てしまいそうで。
  4. 直観とイマジネーションは、ある一つの層から次なる上位の層(=包括的全体あるいは意味)を生み出す主軸である(ということは、知と存在の主軸である)。が、それらはいったい"何かという問に答えるべき言語を既成の近代科学は有していない。" by 栗本慎一郎
  5. 暗黙知理論に基づけば、常に上位の層に向かうようこの直観/イマジネーションを出発させた何らかの力(場の中心の最初の力 by M.P.)があることは明らかで、上帝(Over Lord)ですら人類同様にこの力に基づいて研究を進めている。
  6. 栗本慎一郎はこの場の力をX(ラージエックス)、つまり仮の未知数としていったん置いて、思考を先に進めよと言う。Xが例えば一つの巨大で抑圧的な生命体で、人類はその生命体により暗い牢獄に閉じこめられていることがわかったとしても、そう確認されて初めて拓ける人格的なコミットメントがあり得る、というのが1988年の栗本だ。
  7. 幼年期の終わり』に唯一不満があるとすれば、自分たちが上霊(Over Mind)あるいは宇宙にとって不要な種だと知らされた後の、人類の見苦しいまでの生への執着具合が一切記述されないところだ。もはや主体的ではあり得ない状況下で我々にはどんな主体的な選択肢があり得るのか。死を選んで終わりにするとはとても思えない。次世代の種との交配実験や人(?)体解剖、上帝(Over Lord)にだけ感染するウイルス製造などなど、生き残りを賭けたMadな展開こそ人類の本領発揮ではないだろうか。

 

意味と生命―暗黙知理論から生命の量子論へ

意味と生命―暗黙知理論から生命の量子論へ

 

 

 

女は二度決断する



観てきました。ヒューマントラストシネマ有楽町。朝9:20の回でしたが、200席のシアターが3分の2ぐらい埋まっていました。

ファティ・アキン監督のインタビューはサイゾーこちらをどうぞ。

全体は3幕で構成されている。テロで夫と息子を失う第1幕。容疑者およびその弁護士と法廷で争い判決が出る第2幕。で、邦題の通り二度決断(!?)する第3幕。

 主演女優ダイアン・クルーガーの一人芝居のような映画でしたが、素晴らしい演技で2時間があっという間でした。ドイツ語原題の「Aus dem Nichts(どこからともなく)」を「女は二度決断する」としたのは配給会社の苦労の跡で、「どこからともなく」じゃ観客も集まらないだろうなぁ。

ネットをググると映画のラストは賛否両論。私は少し不満。無差別テロという理不尽で始まる映画なのだから、最後も理不尽に終わって欲しかった。例えばだけれど第3幕途中で彼女は買い物に行くのだが、クルマに戻ると夫と息子の命を奪ったものと同じ爆弾で爆発する、とか。で、第2幕の法廷で検視官が息子の遺体の状況を証言したのと同様のひどい有様の彼女の遺体が映し出されてend(実際、この買い物のシーンは長回しで何か起きそうな緊張感漂う場面だった)、みたいな。

ヒューマントラストシネマ有楽町の上映作品は相変わらず渋い作品ばかりで、公開中の残り2作品も面白そう。年会費1,000円の会員になると-500円で観ることができて、2本見れば元が取れるお得な優待サービス。受付が混んでいて今日は諦めたけど、平日夜に行って会員申込をする予定。

 

 

Amazon Echo:WiFi設定時のエラー1

買いました。年末に。 

Amazon Echo (Newモデル)、チャコール (ファブリック)

Amazon Echo (Newモデル)、チャコール (ファブリック)

 

Alexaアプリをスマホにインストールして設定作業を開始したのだが、Echoと自宅WiFi接続が何度やってもうまくいかない。Alexaアプリのamazonアカウントをいったんサインアウトしたり、デバイスをいったん削除したり、PCのブラウザベースでインストールを試したり。。。簡単に使えるはずじゃなかったのか~!

で、ググってみると「amazon.comに持っていたアカウントを日本アカウントに結合している場合に出る症状」という記事がいくつも。これだ。俺もやってるよ、結合

 Amzonのサポートに12/30(土)の17:00ごろ電話して状況を説明、アカウント結合がやはり怪しいとのことで、もしすぐ使いたいなら新しいAmazonアカウントを作ってそのアカウントでAlexaアプリからEchoを登録してくれ、とのこと。

年末年始にEchoで音楽を聞きたかったので、Amazon PrimeAmazon Music Unlimitedにも登録し直し。どちらも1ヶ月間無料なので損はしない

新アカウントで確かに設定は完了。大晦日と元旦で使い倒し。
手放せなくなるなぁ、これ。

で、Amazonのヘルプデスクからメールが届いた。

 このたびはEcho端末で発生した問題について、お客様にご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。

当サイトでの調査の結果、アカウント結合を行ったアカウントでEcho端末を利用する際に、問題が発生することを確認いたしました。現在、この問題は修正されていますので、お手数ですが、AlexaアプリでEcho端末をいったん登録解除し、アカウントに再度登録のうえ、ご利用ください。

このたびご迷惑をおかけしたお詫びとして、ささやかですが、500円分のクーポンをお客様のアカウントに登録させていただきました。次回のご注文時にご利用いただけます。

よっしゃあ!

Echoは既存アカウントに紐付けし直し、temporaryで作成した上記アカウントを閉鎖。この「閉鎖」がAmazonメニューからはなかなか見つけづらい。ボタン一つで閉鎖はできなくて、チャットでヘルプデスクに繋ぎ、事情を説明し、3分ぐらいでアカウント閉鎖は完了。

全体として、Amazonの対応はスピード含めて満足できる品質だった。

 

パンツをはいたサル:増補版

 

 「追補」が12ページ。せっかく先生が出したのだから、何か反応は残しておくべきだろう。

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30年前に書いた本編に修正は必要ない。ただ、パンサルでの分析をベースに21世紀の予測をしておくべきだった、とのこと。具体的には、

  • トランプ大統領誕生を俺は予言してたぞ

と言いたいのだ!それは『パンツをはいたサル』で述べた社会構造や人間の感情構造の理解やそれらについての現代史的理解に基づく(論理的な帰結だ)。

一体どういう理解をすれば(ができれば)、先生のように正確な未来予測ができるのか。ここ数年先生が繰り返し主張していて、全く比喩ではないのだけれど一切まともに取り上げられない、

  • 社会は生命体だ

という視点が重要かつ根源的だ。社会成員たる人間や個人の集団の一つ上のレベルを形成し、(我々個人や企業や政府やマスコミや独裁者が変えようと思っても変えることができない)独自のシステム/原理/生理を持っているものが社会なのである。経済人類学が示す沈黙交易や互酬/再分配/交換もそうしたシステム(関連態様)のひとつだ。

生命体としての社会は、政治制度をも誘導し自分の意思に合致したものを舞台上に押し上げる。その際、大衆に命令を出す手段としてヒトの集団的感情や熱情やエロス、すなわち快感(或いは不快感)に働きかけてくる。エロスとはもともと社会がヒトを一定方向に動かす手段として生まれたし、同じような働きを持つ手段が神話だ。世間に広まる噂話に一定のシステムがあることも同根だ。

(ここまで単純化して説明できるようになったことこそが、30年の成果でもある。)

 ではこうした基礎的な認識を下敷きにすると現代史はどのように理解することが可能となるのか。現代史で力を発揮し世界中に広まった「正義の思想」=マルクス主義共産主義、そこから派生する人道主義民族自決主義、極端な環境保護や反原発、平等、平和、移民無差別受け入れなどは、社会が広めようとしたから広まったものであり、人間が求めたものではなかったということだ。本音とは異なることを強要されているのにそのことに気づけなかったというのである。20世紀はいわば正義と信念が尊重され支配する世紀に「されてしまった」のだ。

従って、そのカウンターである本音の行動主義が力を持つこともまた十分予測可能となる。トランプもプーチンも超特別に有能だったから選挙に勝ったのではない。言葉の正義に対する(カウンターの)本音の行動主義が彼らを勝たせたのである。

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以上が追補の要約となる。村上春樹エルサレム賞のスピーチで「壁(システム)と卵」の暗喩を用いたが、そこでいうシステムにこれほどの射程があるだろうか(いや、ない)。断然「ウチの」栗本の勝ち(?)だ。w

栗本ファンならぜひ原書を入手して(たった12ページを)堪能してほしい。

 

 

KUNILABO バタイユ入門(2)

続き(第1回の感想はこちら) 

第2回目の課題図書。

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

 

 せっかくの講義なのに、読んだことあるのは二人だけだった。みんな、何しに来てるのかね。もったいない。

ちなみに、ちくま学芸文庫からでている下記は、『呪われた部分』の準備稿の日本語訳で、中身は全然違うんだって。私もこっちは未読。 

呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)

呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)

 

 

さて授業はというと、つまらなかった。

  1. バタイユが有用性にこだわっていたのはわかるけど、そのこだわりの説明ばかりで、「普遍経済学の試み」について講義不足。
  2. 「呪われた部分」とは結局なんのことなのか、先生の理解を聞きたかった。死の徴であり聖なるものでもあるこの「呪われた部分」こそが、精神的にも物質的にも過剰の源泉なのでは?
  3. 目的ー手段関係から解き放たれているかどうか、どうすれば解き放たれるのかという議論ばかりで、うーーん。。。それがバタイユのこの著作の価値なのかなぁ?
  4. 課題図書後半では、この「呪われた部分」が人間の社会でどのように現出し恒常的に消費/消尽されるのかについて述べられている。個々の人間にとっての呪われた部分と社会全体にとっての呪われた部分(しかも文化によって大きく異なる)は同じなの?違うの?なぜ社会/文化によって違うの?

来月は『宗教の理論』。仕事早めに切り上げて渋谷まで通ってるんだから、もう少し刺激が欲しいな(贅沢)。

 

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)