暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

KUNILABO バタイユ入門(2)

続き(第1回の感想はこちら) 

第2回目の課題図書。

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

 

 せっかくの講義なのに、読んだことあるのは二人だけだった。みんな、何しに来てるのかね。もったいない。

ちなみに、ちくま学芸文庫からでている下記は、『呪われた部分』の準備稿の日本語訳で、中身は全然違うんだって。私もこっちは未読。 

呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)

呪われた部分 有用性の限界 (ちくま学芸文庫)

 

 

さて授業はというと、つまらなかった。

  1. バタイユが有用性にこだわっていたのはわかるけど、そのこだわりの説明ばかりで、「普遍経済学の試み」について講義不足。
  2. 「呪われた部分」とは結局なんのことなのか、先生の理解を聞きたかった。死の徴であり聖なるものでもあるこの「呪われた部分」こそが、精神的にも物質的にも過剰の源泉なのでは?
  3. 目的ー手段関係から解き放たれているかどうか、どうすれば解き放たれるのかという議論ばかりで、うーーん。。。それがバタイユのこの著作の価値なのかなぁ?
  4. 課題図書後半では、この「呪われた部分」が人間の社会でどのように現出し恒常的に消費/消尽されるのかについて述べられている。個々の人間にとっての呪われた部分と社会全体にとっての呪われた部分(しかも文化によって大きく異なる)は同じなの?違うの?なぜ社会/文化によって違うの?

来月は『宗教の理論』。仕事早めに切り上げて渋谷まで通ってるんだから、もう少し刺激が欲しいな(贅沢)。

 

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)