ダホメ翻訳 山形浩生(1)
別宮貞徳にボコボコにされた栗本先生のダホメ翻訳本。
英文解釈界の漢、岩清水氏にも「別宮本を読んだが、栗本の翻訳は信用ならん」と言わしめた問題作であるが、
この度、山形浩生の手により完訳がなされた。素晴らしい。ありがとう山形さん。
ということで、栗本訳・別宮訳・山形訳の3つを改めて比較して記録に残しておこうというのが主旨だ。
薬袋先生の黄リー教を地道に続けているので、諸兄の訳と照らして現時点の自分のパーシングと英文解釈能力もついでに確認しておこう。
まず1つめ。
<栗本訳>
これが、ブリストル・リバプール海峡戦争の捕虜が筆舌につくしがたい非人道的な状態のもとで西インド諸島へ送られたときのダホメであった。
channeledを過去分詞形容詞用法と解釈してwarを修飾しているのが間違い。channelは述語動詞で活用形③。~を送る/運ぶ。
<別宮訳>
翻訳無しだが、次のように補足説明がされている。
ダホメが周辺の国と戦争をして、その捕虜をイギリスやフランスに売りつけ・・・イギリスは西インド諸島のプランテーションに捕虜、つまり奴隷を運んで、そこの産物を持って帰る、ということをやっていたわけさ。
<山形訳>
次。
<栗本訳>
カール・ロドベルトスのいう「オイコス」は(ギリシア人が「「家」と呼んでいるように)、市場はあるが、その経済が市場システムを持っていないという範例であった。
economyを修飾している形容詞節内の主語と述語動詞を、あたかも主文の主語+述語動詞のように訳してしまっている。
<拙訳>
カール・ロドベルトスが言う「オイコス」(古代ギリシャ人が「家」と名付けたもの)という枠組みをもつ古代経済において、市場はあるが、ひとつの全体的なシステムではなかった。
<別宮訳>
古代経済は、カール・ロドベルトスのいう「オイコス」(ギリシア語の「家」)が規範となっていて、市場がないわけではないが、市場組織は持っていなかった。
<山形訳>
カール・ロドベルタス (1865) の「オイコス」(これはギリシャ人が「家」を呼んだ用語だ) がパラダイムだった古式経済においては、市場がなかったわけではないが、経済は市場システムを持ってはいなかった。
(続く)