暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

2022年の振り返り

薬袋先生づくしの1年だった。

1月から始めた黄リー教

蒙を啓かれるとは正にこのことで、大学受験+大学で覚えた自分の英文法知識が如何に貧弱で根拠レスなFeelingに基づいていたかを痛感した。

9月15日には1周目終了。スマホアプリ「みんなのチャレンジ」で「毎日!黄リー教」というチームを立ち上げ、志を同じくする仲間達の日々の進捗に刺激されながら継続しました。ウォンバットさん+しろTさん、ありがとう

そのまま青リー教に移行し、それも無事1周目終了した。

今は、薬袋先生がサイトに公開してくれている「黄リー教 Drills Rubric」の例文を積み重ねている。定年引退後にPersonal Knowledgeを翻訳するための基礎を徹底的に仕込むのだ!

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薬袋先生は東大法学部出身で、twitter川島武宜碧海純一をオススメしていて、買って読んだ。特に碧海純一の著作は素直でとてもわかりやすく、それでいて深い考察を提供してくれる。碧海からの引用。

曖昧模糊としたことばをつらねて、その神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる譜調のうちに何となく幽玄な雰囲気をかもしだすことを天職と考えている哲学者たち

内容も面白いし、栗本先生の法社会学言語学関連の著作に影響を与えているように思う。

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年末の12月に読み始めたのは、バチカンの狂気。

カトリック総本山のバチカンが伝統を捨て、「平等」「人権」などの名目をタテにグローバリズムや中国・ソ連との癒着を強化しているという指摘だ。

栗本先生が『増補版 パンツをはいたサル 』で書いていたように、現代史で力を発揮し世界中に広まった「正義の思想」=マルクス主義共産主義、そこから派生する人道主義民族自決主義、極端な環境保護や反原発、平等、平和、移民無差別受け入れなどは、社会が広めようとしたから広まったものであり、人間が求めたものではなかったという説と通じるものがある。伝統を破壊する正義の思想バチカンよ、お前もか!

本音とは異なることを強要されているのにそのことに気づけない人類。20世紀はいわば正義と信念が尊重され支配する世紀に「されてしまった」のであり、それは21世紀の今も続いている。

著者はいわゆる「聖ピオ10世会」につらなる、古来伝統のラテン語ミサを大事にする一派の方のようだ。カトリック東京大司教区はこの会の活動への参加を推奨していないが、私はこのラテン語ミサに参列してみたくなった。

 

皆様、良いお年を。

 

 

ダホメ翻訳 山形浩生(1)

 

別宮貞徳にボコボコにされた栗本先生のダホメ翻訳本。

英文解釈界の漢、岩清水氏にも「別宮本を読んだが、栗本の翻訳は信用ならん」と言わしめた問題作であるが、

この度、山形浩生の手により完訳がなされた。素晴らしい。ありがとう山形さん。

cruel.hatenablog.com

ということで、栗本訳・別宮訳・山形訳の3つを改めて比較して記録に残しておこうというのが主旨だ。

薬袋先生の黄リー教を地道に続けているので、諸兄の訳と照らして現時点の自分のパーシングと英文解釈能力もついでに確認しておこう。

まず1つめ。

<栗本訳>

これが、ブリストルリバプール海峡戦争の捕虜が筆舌につくしがたい非人道的な状態のもとで西インド諸島へ送られたときのダホメであった。

channeledを過去分詞形容詞用法と解釈してwarを修飾しているのが間違い。channelは述語動詞で活用形③。~を送る/運ぶ。

<別宮訳>

翻訳無しだが、次のように補足説明がされている。

ダホメが周辺の国と戦争をして、その捕虜をイギリスやフランスに売りつけ・・・イギリスは西インド諸島プランテーションに捕虜、つまり奴隷を運んで、そこの産物を持って帰る、ということをやっていたわけさ。

<山形訳>

ブリストルリバプールが戦争捕虜を、筆舌に尽くしがたい非人間的な条件の下で西インド諸島に回送したダホメがこれだ。

 

次。

<栗本訳>

カール・ロドベルトスのいう「オイコス」は(ギリシア人が「「家」と呼んでいるように)、市場はあるが、その経済が市場システムを持っていないという範例であった。

economyを修飾している形容詞節内の主語と述語動詞を、あたかも主文の主語+述語動詞のように訳してしまっている。

<拙訳>

カール・ロドベルトスが言う「オイコス」(古代ギリシャ人が「家」と名付けたもの)という枠組みをもつ古代経済において、市場はあるが、ひとつの全体的なシステムではなかった。

<別宮訳>

古代経済は、カール・ロドベルトスのいう「オイコス」(ギリシア語の「家」)が規範となっていて、市場がないわけではないが、市場組織は持っていなかった。

<山形訳>

カール・ロドベルタス (1865) の「オイコス」(これはギリシャ人が「家」を呼んだ用語だ) がパラダイムだった古式経済においては、市場がなかったわけではないが、経済は市場システムを持ってはいなかった。

 

(続く)

堀内寿郎とマイケル

1981年に出版された堀内寿郎追悼文集『漕魂』に、こんなエピソードが載っていた。

先生は昭和七年、三十才で理学博士の学位を取得され、その年俊英の集うドイツのゲッチングン大学に留学されたのであるが、先生のお話によると、先生が参加されたゼミナールの仲間達の学問的水準は皆極めて高く、先生が日本で積み上げられた学問的水準などは問題にならない程だったという。その上言葉の不自由があった。言葉が出来ないと中味の学問にまでひどい劣等感を持つようになってしまう。それはもう堀内先生にとって嘗てない体験であったに違いない。口惜しさの余り、人目につかぬ所にかくれて幾度泣いたか知れないという。
更に先生は言葉を継がれる。大抵の者はここで神経衰弱になってしまう。そうして自ら学ぶ態度を放榔して西欧陣営の前に招伏し、西欧万能の精神に凝り固って帰って来る。確かに俺も今から考えると神経衰弱だった。但し俺の神経衰弱は他の人と違っていわば陽性の神経衰弱だ。寝る間も惜しんで気が狂った様に勉強した。確かに異常だった――と述懐された。
然しこの異常なまでの努力によって、先生は短期間に言葉や学問上のハンディキャップを克服され、彼等と対等の立場で遠慮のない討論を交すことが出来るようになったのである。

ゲッチンゲン大学のオイケン(A.T.Eucken)の所にまずは行った堀内(当時なんと自費留学!)。翌年にはマイケルに呼び寄せられて(公職追放令を受けてマンチェスターへの移動を決めていた)カイザー・ウィルヘルム研究所に移り、ハンガリーからの留学生1名と実験助手1名、それに堀内寿郎とマイケルの4名はマンチェスター大学に移る。そして年間18枚の論文を出すという、もっとも多産な1年を同じ研究室で過ごすのである。

 さまざまなお話をうかがったが、中でも最も印象に残っているのは、マンチェスター大学におけるポラニ教授との壮絶なまでのやりとりである。ポラニ教授との協同研究を進めて行くうちに、研究は巨大な暗礁に乗り上げてしまった。その研究の内容がどの様なものであったかは、門外漢の私には分らない。しかしこの問題の解明がもたらす学問上の価値が如何に大きいかを誰よりもよく知っておられた堀内先生は、持ち前の闘志を燃やして真向からこの問題に取り組み、一歩も退こうとはしなかった。

三日三晩寝もやらずに考え続けた挙句、心身共に疲れ果てて椅子にもたれたまま、ついウトウトと居眠りをしていた先生の頭の中に、サッと天啓の如き閃めきが走った。ハッとして目を覚ました先生は、憑かれたようにこの啓示を追い求めて理論と実験の展開を進めて行った結果さしもの難題を解決する見透しが得られたのである。

その結論をポラニ教授の所に持って行ったところ、ポラニ教授は大変によろこび、やがて一つの論文をまとめ、「君の発想の展開をこの様に経めた」と言って堀内先生に示した。先生が読んで見ると、堀内という名は何処にも出ていない。すべてはポラニ教授が一人でやったように書いてある。カチンと来た堀内先生は即座に抗議を申し込んだ。黙って聞いていたポラニ教授は、やがて論文を書き直して持って来たが、それには論文の末尾に堀内博士の協力に感謝すると附記されているだけであった。

ここに至り堀内教授は憤然としてポラニ教授に喰ってかかった。「この発想は飽く迄私のものである。その証拠に私が始めてこれを説明した時、あなたは仲々理解出来なかったではないか。それを協力を感謝するという一言で片附けるとは何事であるか」と。

激論は数刻に及び、ようやくポラニ教授は折れて再度書き直しを行ったが、それにはその冒頭に「この研究は堀内博士の発想を展開したものである」と前置きがしてあった。これならよかろうと始めて先生は同意を示し、二人は握手を交わしたということである。「ポラニといえば日本では神様のように思われているが、俺は彼とブルーダーハイトをトリンケン(兄弟の杯を交わす)して来たよ」と堀内先生は豪快に笑った。

 

 これはおそらく、反応熱と活性化エネルギーの比例関係として知られる「堀内-ポランニー則」の発見ことだろう。マイケルとしては、問題設定の枠組みは自分が作ったという自負があったのではないか。

 

Plutarch英雄伝

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細江逸記 注釈 JULIUS CAESAR

ShakespeareのJULIUS CAESARはTribunes(護民官)のFlaviusとMarullusの登場で始まる。Tribunesというのは、貴族(patricians)に対して庶民の権利を保護する為に、紀元前494年に選ばれたのが初めてで、当時は2名定員、後に10名に増員された。

 

Caesarがかつての政敵pompeyの遺子達をSpainのMundaの一戦(B.C.45)にて撃滅してローマに凱旋しくるのを庶民は見世物として楽しもうとするのだが、FlaviusとMarullusはPompeyの余徳を思い、Caesar勢の隆々たるを不安に感じている。

 

もともとShakespeareはこの戯曲を書くのにプルタークカエサル伝を参考にしているが、この凱旋時の事情をカエサル伝は次のように述べている。

After all these things were ended, he(Caesar) was chosen Consul the fourth time, and went into Spain to make war with the sons of Pompey : who were yet but very young, but had notwithstanding raised a marvellous great army together, and showed to have had manhood and courage worthy to command such an army, insomuch as they put Caesar himself in great danger of his life.

"かくてシーザーは第四回目に執政官( コンサル)に選ばれた。そうしてポムペイの息子達を討伐せんがためスペインにはいった。彼らは若年ながらおびただしき軍勢を集め、かつこれを指揮するあっぱれの勇気と機略とを現してシーザーを極度の危険におちいらしめた。"

This was the last war that Caesar made. But the triumph he made into Rome for the same did as much offend the Romans, and more, than anything that ever he had done before; because he had not overcome captains that were strangers, nor barbarous kings, but had destroyed the sons of the noblest man in Rome, whom fortune had overthrown.  

"これがシーザーの戦争の打ち上げであった。彼がこの勝利を祝賀した凱旋式はローマ人をこの上もなく不愉快ならしめた。けだし彼は外国の将軍ないし蛮族の王を克服したのではなく、末路蕭条たりどいえどもローマの最も偉大なる者の子息と一族を殲滅したのであったから。"

プルターク英雄伝 (潮文学ライブラリー)
プルターク英雄伝 (潮文学ライブラリー)
  • 作者:プルターク
  • 発売日: 2000/12/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 プルターク英雄伝の訳者はいろいろいるが、昭和9年鶴見祐輔訳を上記では引用した。

「鶴見訳で読むとおもしろいプルターク英雄伝」でTomokazu Hanafusa氏が推薦しているのが鶴見訳で、実際、とても生き生きとした素晴らしい翻訳の一端がお分かりいただけるかと思う。ちなみに同ページで河野与一訳の岩波文庫版について次のように言及されている。

山本夏彦が『私の岩波物語』に書いているとおり、信じられないほど退屈なもので、英雄伝とは名ばかりの読んでいてすぐ眠気がさす本である。だから、まったく読書には向いていないので、資料としてならともかく、読書用には購入をすすめられない。 

 渡部昇一先生が何冊も翻訳を手がけている哲人エマソン曰く、

われいま、全世界の図書館、火を失して焼けつつありと聞かば、先ず身を躍らして、火焔のなかより、シェークスピア全集と、プラトン全集と、そうしてプルターク英雄伝とを救い出すべし。 

 

鶴見祐輔は言う。

学園に行かず、良師なく、良友なしといえども、一巻のプルタークあらば、反覆愛誦、もって我が人生を築く事を得るのである。 

 

realme x2 pro

Aliで購入したrealme x2 proが、やっと届いた。

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現時点では10万円オーバーとめちゃめちゃ高額。しかし私が発注した5月時点では、4万3千円だったのだ。5月7日に発注して、到着が7月25日。3ヶ月弱! 遅い、遅すぎるよAliExpressの標準配送(DHLオプションがなかったのである、このshop)。

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ラッキングログを見ると、中国を出発していったんシンガポールに集約され、そこから世界各国に配送されている模様だが、5月12日に中国から航空便に引き渡して、シンガポールで動きが出るのが7月17日。どーいうことなのか! 笑

あと10日でrefund(返金)オプションが適用されるところだった。refundしたら、OnePlus 7Tにしようと思っていたが、無事届いたので、これを3年ぐらいは使い続けるつもり。

 

 

 

冨山房 『大英和辞典』

 

ことば・文化・教育―アングロサクソン文明の周辺

ことば・文化・教育―アングロサクソン文明の周辺

  • 作者:渡部 昇一
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 1982/07
  • メディア: 単行本
 

 雑誌「英語教育」に連載していた渡部先生のコラムをまとめた本書には、冨山房の『大英和辞典』が2箇所出てくる。

ひとつは「ガバナビリティと英和辞典」というコラムで、

 ロッキード問題が熱くなってきた頃から、ガバナビリティという耳なれない言葉が流行してきた。どうもおかしな使い方をしていると思っていたところ、「統治能力」という漢字にガバナビリティというルビをふっている週刊誌の表紙を見てその原因がはっきりした。もちろんガバナビリティの意味は統治能力ではなくて被統治能力のことである。

 現行の英和辞典にきちんと「非統治」の意味が掲載されていないからマスコミも間違えてしまうのではないかと調べてみると案の定、

ガバナビリティに関しては、現行の英和辞典は調べた限り、すべて曖味である。研究社、岩波、小学館ランダムハウスの大辞典もすべて、統治能力と解釈できる訳語ばかりであって、被統治の観念が明らかでない。 

ことが判明した。ところが、昭和6年刊行の冨山房『英和大辞典』にはきちんと非統治の意味が明記されているという。

冨山房の大英和ではどうなっているかと言えば、それが明快至極なのである。まずgovernableという形容詞には、「①管治さるべき(GOVERN, v. 各意義参照)。②従順なる」という二つの意味を与えているが、いずれも完壁である。「管治」という漢語は耳なれないが、governのところには「統治」も使ってあるし、そこを参照するように指示もしているからこれでよいであろう。さらにgovernabilityについては「①管治又は管理さるべきこと)、②従順」とあってこれまた一点の疑義も容れる余地がない。特に「従順」という意味をあげているのが目ざましい。 

で、これが実物。確かに!

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governability

もう1箇所出てくるのは「Constitutionの訳語と『冨山房大英和』」というコラムだ。

constitution を憲法と訳す習慣は今も一般的であり、無用な誤解を与えたり、無用な晦渋さを産み出しているようである。たとえば大野精三郎氏の『歴史家ヒュームとその社会哲学費岩波書店 一九七七)の目次を見ると、「十六、七世紀のイギリス憲法と政治体制」とか「アングロ・サクソン時代から十六世紀までのイギリス憲法機構の性格」などという項目が見える。まさかヒュームの『英国史』の専門的研究をしている学者が、イギリスにいわゆる「憲法」がないことを知らないはずはないと思いながら

私は渡部先生のこのコラムを読んで初めて知りましたよ。イギリスには成文法としての憲法が「ない」なんて。

 ある法律が公布されようとするとき、「それが英国の体質に合っているかどうか」と論議するのがイギリスの憲法(?)論議なのであって、書かれた憲法の第何条に違反するとかしないとかを論議するのではない。国の体質、つまり「国体」としてみんなに漠然と意識されているものによって、ある法律がconstitutionalか否かを間うのである。constitutionalとは人間で言えば「体質的なもの」であり、法律について言えば「国体的なもの、国体に反しないもの」なのである。日本では七世紀初頭の聖徳太子の「憲法」以来、「憲法」といえば成文憲法を指すことになっているので、成文化されたことのないイギリスのconstitutionを「憲法」と訳すのは誤訳と言ってよいであろう。

 ここでも現行の英和辞典を確認するのであるが、「国体」の訳語を与えているものはない。しかし、明治人が編纂した『冨山房大英和辞典』にはきちんと「国体」が掲載されているのである。

 さらに精密なのは飯島広三郎『大英和辞典』(冨山房)であって、①設立 etc. ②体質 etc, ③(a)国憲、国体、政体 (b)憲法 (c)制度 etc. (d)規則 etc. (e)勅令 etc.となって、間然するところがない

 

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ちなみに現在私が愛用している学研アンカーコズミカ(2007.編集主幹 山岸勝栄)には、governabilityという単語は掲載されておらず、constitutionには「憲法」と「構成、構造」「体質」の訳が付されている。

 

令和元年 秋の音楽3連休

BBC Proms Japanのday 4に行った。渋谷のオーチャードホール

www.bbcproms.jp

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お目当ては、violinistのVadem Repinによるチャイコフスキー バイオリン協奏曲 op.35。S席15,000円は高い買い物だったが、Repinの演奏を生で聴けたし見れたから良しとしよう。

映画『オーケストラ』でこの曲が大好きになり、いろいろな演奏をamazon music で聴いた。一番良かったのがRepinの下記の演奏。オケとの一体感が誠に素晴らしい。改めて聞き直したがProms生演奏より断然こっちがイイ。

https://music.amazon.co.jp/albums/B00BJVTVVS?ref=dm_sh_fff6-bd9e-6548-8526-a3a88

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翌日はヒューマントラストシネマ有楽町にて『パリに見出されたピアニスト』。

paris-piano.jp

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あらすじは『ピアノの森』、主人公の内面の成長に伴って演奏が変わっていく様は『四月は君の嘘』。

都合の良いハッピーエンドで終わるお決まりのシナリオだが、定番こそ素晴らしいという好事例だと思う。

サウンドトラックはこれ。オススメ。

https://music.amazon.co.jp/albums/B07LDGQ43K?ref=dm_sh_b7c3-3cc0-ab65-c428-f5650

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