ポランニーか?と思ったら、参考文献にも索引にも一切記載がない。
最終13章では、栗本慎一郎の経済人類学が提起した問題意識――社会の内的摂理の分析と、それが表出して支配する諸現象の研究――に照らして読むと、社会全体のシステムを析出しようとする学問が社会学だとし、社会成員の「幻想」まで含めて社会学の対象だとするのは同じ問題意識を引き継いでいるようにも読める。
でも、その社会学が対象とする「社会システム」とは一体何なのかは明確には提示されない。栗本経済人類学が提示した8つの社会システム①食料の供給、②子孫の供給、③対外的な平和の維持または防衛の確保、④①から③のシステムを安定的に反復すること、⑤共通の価値観/世界観の維持、⑥財の確保と分配のシステム、⑦広義の官僚制度、⑧広義の教育制度、のような試案提示は本書の趣旨ではないのだろう。私的には、それらの社会システムが当該社会成員(の理性)により意識的に創出されるのか、人類に共通の無意識的な生成/構造化プロセスを仮定できるのかといった点にも触れて欲しかった。結局、さまざまなレベルの社会システムを「法」と一括りにして「法の支配」が重要なのだという指摘に留まる。あとがきでは「法社会学」について触れていて、明治大学法学部で法社会学を教えていた栗本を意識しているようにもみえる。
8つのシステムは(結果的には3つの交換態様に分類できるのだが)、栗本の議論では、さらに太陽活動、宇宙線、ウイルス活動といった、社会の外部にある巨大な開放系との連関までが視野に入れられていた。そして最終的には「社会は生命体だ」と言い切ったのだった。
ニューアカ的なエキサイティングさには欠けるのだが、本書で(も?)稲葉先生は、分からないことを分かったように語らない。論証できる範囲を慎重に画し、制度・市場・資本主義等について堅実に議論する。その知的誠実さは信頼できるし、以前から、「社会全体」を法則的に説明する学問を立てることには慎重で、全体性は具体的対象というより、事後的にしか捉えられない「コンテキスト、環境、地平」だとしている。2012.05.24のブログ
まぁ、それでよいのだろう。






























