暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

幼年期の終わり

 

 図書館で借りて、恥ずかしながら初めて読みましたよ、ええ、この名作を。

@okemos_PESさんが#sfjpnタグで紹介していたこのブログがとても面白かったので、ご指示通り(?)GW推薦図書にしたのです。

  1. まず、65年も前に(1953年)本書を書き上げたクラークの想像力と直観には脱帽です。上帝(Over Lord)に上霊(Over Mind)とは。
  2. 人類全体が「未来の記憶=予感」を「過去の記憶」として共有するなんて話も、痺れるね。
  3. クラークの(科学的知識に裏打ちされた)想像力と直観の産物であるこの物語が半世紀以上人類に好まれ続けているという事実は、僕らのこの「予感」に何らかの根拠を与えてくれそうで少し恐い。「宇宙が人類のための場所ではないことを知っ」てしまいそうで。
  4. 直観とイマジネーションは、ある一つの層から次なる上位の層(=包括的全体あるいは意味)を生み出す主軸である(ということは、知と存在の主軸である)。が、それらはいったい"何かという問に答えるべき言語を既成の近代科学は有していない。" by 栗本慎一郎
  5. 暗黙知理論に基づけば、常に上位の層に向かうようこの直観/イマジネーションを出発させた何らかの力(場の中心の最初の力 by M.P.)があることは明らかで、上帝(Over Lord)ですら人類同様にこの力に基づいて研究を進めている。
  6. 栗本慎一郎はこの場の力をX(ラージエックス)、つまり仮の未知数としていったん置いて、思考を先に進めよと言う。Xが例えば一つの巨大で抑圧的な生命体で、人類はその生命体により暗い牢獄に閉じこめられていることがわかったとしても、そう確認されて初めて拓ける人格的なコミットメントがあり得る、というのが1988年の栗本だ。
  7. 幼年期の終わり』に唯一不満があるとすれば、自分たちが上霊(Over Mind)あるいは宇宙にとって不要な種だと知らされた後の、人類の見苦しいまでの生への執着具合が一切記述されないところだ。もはや主体的ではあり得ない状況下で我々にはどんな主体的な選択肢があり得るのか。死を選んで終わりにするとはとても思えない。次世代の種との交配実験や人(?)体解剖、上帝(Over Lord)にだけ感染するウイルス製造などなど、生き残りを賭けたMadな展開こそ人類の本領発揮ではないだろうか。

 

意味と生命―暗黙知理論から生命の量子論へ

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