暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

1988年 年末 -説得-

説得―エホバの証人と輸血拒否事件

説得―エホバの証人と輸血拒否事件

第11回講談社ノンフィクション賞受賞作。

出版は1988年11月。このころ私は、明治大学の法社会学講義Ⅱ(2部)をモグリで受講していた。浅羽通明『ニセ学生マニュアル』が丁度9月に出版されていた。4月には『パンツを捨てるサル』が出て生命進化の深淵に触れ(た気がして)興奮し、6月に出版された『意味と生命』で更に感銘を受け、どうしても栗本先生の生声授業が聞きたかったのだ。

年末近い授業だったと思う。手元のノートを見ると、1988年12月17日(土)15:00-18:00の補講だ。沈黙交易を枕に、月刊宝石に寄せた「竹下語の大研究 -言語明瞭・意味不明-」の話に脱線し、この路線ならもう一本「長嶋語の大研究 -中学英語の安物アンチョコ翻訳文-」が書ける、なんて話をしていた。

沈黙交易はあったのか、なかったのか。経済人類学は具体例でその実在を主張しているが、過去の人類学は「なかった」「観察されていない」としている。ないとするならば、否定的な証拠を「向こう」が出すべきだ。

栗本先生は講義を続ける。

過去・歴史上の出来事の有り・無しを説明するには、訓練された専門家の判断が不可欠だ。E.リーチも言っているじゃないか。「ちょうちょう蒐めをしてはならない」と。これは、現代のノンフィクション・ルポルタージュについても同じだ。事実とは?認識とは?

先日出版された『説得』という本を知っているか?エホバの証人事件、輸血拒否で少年が死亡した事件について、自らエホバの証人の集団に入っていって、学問的にも見事なフィールドワークを為した本だ。講談社のノンフィクション賞もとった。書いたのは中央大の院生ということだが、この大泉くんは中央大になどいないで明治大の私のゼミに入って研究したほうがイイ!

 今回amazon古書で買って読んだが17年前の内容であるが全く古くない。面白い。特に「第11章 説得」の緊迫感は見事だ。トラックの交差点左折に巻き込まれ、両足がグチャグチャになった小学校五年生の男の子が聖マリアンナ医科大学病院に救急搬送される。名称からわかるように、この病院は設立そのものがキリスト教の実践だ。普通なら両親とすぐには連絡が取れないためそのまま輸血を行うところだが、男の子がカブっていた帽子に自宅の電話番号が書いてあったため、すぐに両親と連絡が取れ、病院に駆けつける。

受付の事務員は自分の耳を疑った。センターに入ってくるなりその男は、「まだ輸血してないでしょうね」と言ったのだった。

救急救命センターの当直責任医は、駆けつけた両親に伝えた。同意書が、必要なのだ。

「すぐに手術をします。かなりの複雑骨折ですが、つながるところはできるだけつなげていきます。緊急の状態ですから、輸血をして、容態が安定してから手術になります。」

「あ、ちょっと待って下さい。輸血はどうしてもしなければいけないんですか?・・・して欲しくないんですけど。」「・・・なんとかして手術してください。ただ、輸血はしてほしくないんです。」

 医学的な輸血の必要性を説いていた麻酔科医は、子供に会わせて親の心に訴えることを試みる。時間が、ない。父親は息子に声をかける。

「だいじょうぶか。」「うん」「お父さんがついてるからな。しっかりしろよ。」

「こんな元気な子が、だんだん悪くなっていって、取り返しのつかないことになってしまいますよ。」

「先生、手術でも何でも、とにかくこの子を助けて下さい。なんとかして・・・」

「それじゃぁ、輸血しましょう。」

「・・・いや、輸血・・・は」

それでも親かよ、という声が研修医の間から飛んだ。

 センターに運ばれて既に1時間が経過しようとしていた。血圧は80まで下がり、唇のチアノーゼは増し、まぶたからは赤味が失せていた。搬送された時点で医師は「輸血すれば問題なく助かる。入院60日」と判断していたのに。

副センター長は父親がその振動で震えるぐらいの大声で説得にかかった。

「あんたこの子を助けたくないのか。よし、もうこの子はこっちに全部預けろ。こっちが全責任をもつ。あんたは黙ってろ。」

医師は子供の傷口のガーゼを1枚1枚剥がしていった。足はトラックに押し潰されて裂け、肉がめくれ上がっていた。父親の体は硬直した。

「三分・・・時間を下さい。妻と相談してきます。」

・・・

「とにかく輸血は受けられません。私には信念があるんです。これは神の命令なんです。聖書が禁じているんです。」

「こどもが死んでしまうんだよ。」

「・・・たとえ死んでも、楽園で復活があります。」

 本書を読むと、この「復活」について、エホバの信仰のあり方と日常について理解が深まる。

お薦め。

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大泉さんは現在、ライターとして特にその関心を主に「おたく」に移しているようだ。

核と萌えの日々~ライター大泉実成のたわごと

 

 

 

 

 

 

ホモ・サピエンス

パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか

パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか

本書で栗本先生は人類の起源の説明としてエレイン・モーガンのアクア説を展開したと世間では考えられているし表面上そう読める所も多いが、本筋のネタ本は違う。『意味と生命』のメルロ=ポンティ編でも「知覚の現象学」ばかりを引いておいて本文は「行動の構造」からチラぱくりしているのと同様に、本書でも、引用されているものとは異なるネタ本がある。それがこれ。

はだかの起原―不適者は生きのびる

はだかの起原―不適者は生きのびる

本書で島はアクア説(というか適者生存の自然選択)をタコ殴りのフルボッコし、非常に説得的にヒトの起源を説明している。そして最後255ページからは「パンツをはいたサル」といった趣だ。栗本先生がアクア説における汗腺の意味をぼやかしているのは、島の本書での批判を踏まえてのこと。そして本筋は「不適者が生き残る」ということなのだ。

「進化論」を書き換える

「進化論」を書き換える

この2書に、池田の「エピジェネティカルな形態形成システムの変化」というマイケルも指摘していた大進化の機構が加わると、全体のストーリーがどう展開可能なのか。少し整理しておこう。

(1)1千万年以上前:ラマピテクス:4足歩行、毛皮有り

  アジアやアフリカの森林地帯で生活

(2)670万年前:ラマピテクス

  アファール地峡のダナキル地塁が孤立化

(3)500万年前:アウストラロピテクス:二足歩行、毛皮有り

  ダナキル含むアフリカ一帯、主食は骨髄、「口と手連合仮説」により二足歩行化。

  遺伝子に突然変異は無く、エピジェネティカルな獲得形質(二足歩行)が遺伝的同化を達成

(4)240万年前:ホモ・ハビリス:二足歩行、毛皮有り、石器使用

  孤立し隔離されたダナキルで急速な進化、脱ダナキル

(5)190万年前:ホモ・エレクトゥス:二足歩行、毛皮有り、石器使用

  孤立し隔離されたダナキルで急速な進化、脱ダナキル

(6)32万年前:ネアンデルタール:二足歩行、毛皮有り、石器使用

  (3)の子孫、ヨーロッパほぼ全域と中東

(7)20~10万年前:ホモ・サピエンス:二足歩行、毛皮無(はだか)

  孤立し隔離されたダナキルで急速な進化

  遺伝子に突然変異は無く、外胚葉の発生プロセスがエピジェネティカルに変化

  外胚葉=1)皮膚・2)汗腺・3)口腔喉頭・4)脳だが、それぞれ1)毛無し・2)アポクリン腺の極端な減少・3)言語発話の物理的構造成立・4)脳機能の拡大(高度な学習能力、心的器官の形成)という変化を引き起こし、その生存上の不利を強引にカバーする必要があった。

  はだかに対応して、火・衣類・家を発明

  言語の発明、社会的行動、洞察と予見に基づく行動、過度な攻撃性

  過剰の蕩尽による快感原則、結果としての拡大成長路線

 

(7)の現生人類にいたるまで、火も使えないし毛皮はあるし家も(必要)ない。パンツをはいてまだたった10万年なのだから驚きだ。また、(7)の急速な進化はネオ・ダーウィニズムが言うところの適者生存と自然選択ではない。身体の欠損を補うべく発現された暗黙知の力による創発だ(と言ってしまって良いだろう)。3)の口腔咽頭の変化などは、気管に異物が入って窒息死してしまうような、生存に関わる欠損だ。しかしこの欠損は「言語発話」には適していたのだ。4)と緊密に連動して現生人類は言語体系を構築し、密なコミュニケーションを可能としたのだった。

 

能動的な適応。必死の跳躍。コミットメント。

 

古人類学については、島が「教科書的に使っている」と書いているクラインの次の書籍を読むべきなのだろうな。

The Human Career: Human Biological and Cultural Origins

The Human Career: Human Biological and Cultural Origins

 

「冷え」がなんだって?

栗本先生がラジオ「栗本慎一郎の社会と芸術を語る」でゲストに呼んでいた、青山自然医療研究所の川嶋朗(あきら)の本を早速amazonで取り寄せて読んでみた。

心もからだも「冷え」が万病のもと (集英社新書 378I)

心もからだも「冷え」が万病のもと (集英社新書 378I)

毎朝冷たいトマトジュースや野菜ジュースを飲んだり、オヤジやお袋がやっていた朝一の冷たい水道水をコップに一杯飲み干すっていう民間健康療法(?)を真似ていたのだが、本書を読んで止めました。確かに、朝から冷たいものを胃腸に入れるとお腹を下しがち。毎朝お湯を飲むようにしてから、便通も良い感じがする。

川嶋は冷えによる血行不良がもたらす病態として次の3つをあげている。

  1. 酵素反応が鈍くなり、免疫と代謝が低下
  2. 有害物質がたまり血管が詰まりやすくなる
  3. 栄養素が行き渡らず細胞が不活性

まぁ、ここまでは良しとしよう。でも、ここからがすごい。

  • 心の病も冷えから
  • 非行も冷えから
  • がんも冷えから
  • 不妊も冷えから
  • うつも冷えから
  • EDも、更年期も冷え
  • 冷えてるから自殺したくなる

全て目次からの抜粋。で、最後はホメオパシーで〆る。

いったい何なんだ。有意の範囲内で語って欲しい。

※2013.2.24追記

これを読むと、多発性硬化症になると体温上昇は避けるべきものらしい。

考える生き方

考える生き方

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栗本先生が大学(有明教育芸術短期大学)の講義で「説得力あるね」と言っていたというので、釜池豊秋の本も買って読んだ。

食べても太らない! 「糖質ゼロ」の健康法 (新書y)

食べても太らない! 「糖質ゼロ」の健康法 (新書y)

でも、 このエラソーな講演をみてうんざりして止めてしまった。

釜池豊秋先生 第17回日本がんコンベンション かまいけ式健康法

糖質カットには、その後医学的にNGの声も上がっているようだ。 

糖質制限ダイエット、長期は危険? 死亡率高まる恐れ

 

ということで、先生が紹介した健康法で私自身が3年以上続いているのは、ルンブルクスルベルスだけになっている。それも、センヨウではなくワキ製薬のもの。これが一番コストパフォーマンスがよい。

「新しい世界史の教科書」(仮) あとがき

f:id:tacit2:20130209090832j:plain

長沼さんが先生の新著のあとがき(の一部)を先行紹介してくれている。

http://d.hatena.ne.jp/thunder-r-labo2/20130206/1360134029?_ts=1360161869 

過去の本のあちこちでちりばめた地球史についての指摘は、読者が過去に優等生であればあったほど混乱を与えてしまったはずだ。その構築された通説での世界観をゆるがせたり傷つけたりさせてしまったはずだから、それらをまとめると地球上の本当の歴史はどうなるはずかということを、つまり真実の全体像を示しておきたかったのだ。
 要するに本書は少なくとも半世紀以上の、経済人類学による真実に対する愛と追求の末の結論を、一度、筋の通った形で後進に伝えておこうというものなのである。それだけである。
  • やっぱり愛なんだよ、愛
  • 後進を考える時期なのだ。Xデーを僕らは覚悟しなくちゃいけない
ただ、これにより、近代市場社会は人類普遍の社会ではないという経済人類学者カール・ポランニーの喝破も、古代社会の本質への見通しも、江戸時代の人口問題も、不思議な縄文社会の王国も、巨大前方後円墳の謎も、日本とヨーロッパの経済成長の基盤も、ヨーロッパ史における猫狩りと魔女狩りの愚かさも、今も続く中国の帝国主義の根源も、アラブ社会とイスラエルの激突も、みな有機的につながっているものとして理解できるはずだ。
  • 大好きな猫をさらっとカブセてくるのもクリモト流(実際中世にあったのだ、猫狩り)
  • 「有機的な繋がり」とは何なのか、なのだよ、問題は
一見ばらばらに見えても世界の動きの根源は一つである。ばらばらに見ているからばらばらに見えているだけで、われわれが生きている世界の動因は間違いなく一つだ。われわれは、決して個別ばらばらの生命を営んで生きているものではない。そんな力は今の人間にはない。
  • 物事の動きや変化を引き起こすのは静的な「構造(必要条件)」じゃなくて「動因(十分条件)」
  • あまり根源は一つだ一つだと連呼すると、究極原因一元論だと読まれちゃうのだが
  • 過剰-蕩尽のシステムから逃れる力が今の人間には「ない」のだ
そもそも近代という事態あるいは現象自体が、すべてを合わせて一つの生命体のようなものだと考えるべきだ。実はわれわれは現象を作り出すために生きているのだ。生かされていると言っても、そう大きな間違いでもない。
  • 一つの生命体だということは、各パーツには定められた機能があるということだが、では、パーツである個人あるいは個人の自由意志とは何なのか。
  • 「事態」と「自体」でうっすらダジャレってるのがわかった人、手を上げて
私が過去にいくつかの場所で、あるいはいくつかの機会で、生命の意味は生きること自体にあると言ったのは、ほかでもないこういうことだったのだ。そこに深遠な意味をこめるつもりなど全くなく、直截的に述べただけのことだった。
  • 個々の生命の意味は、上位の包括的全体たる生命体を生かすために生きることだ、と
  • 俺(先生)にとっては直截的なだけだが「優等生」のみんなにはどうかな、深遠な意味を感じちゃってるでしょ、と暗に語るところも常套句
80年代にいろいろくどくどと「意味と生命」について論じたりしたが、意味も生命も静的なものでは絶対にないぞ、また動的なことでなくてはならないぞ、と強調した。要するに単純に生きることそれ自体が意味だと言ったのに過ぎない。
存在とはEXISTENCEではなくBEINGなのだと言ったのも同じことだ。私はしばしば科学哲学者マイケル・ポランニーの言を借りて論じてきたものだが、今となってあっさり言えば、彼の言葉は私にとって勉強したから理解したというようなものではなく、勝手に向こうから飛び込んでくるように私の胸に響いたものだった。そういうものなのだ。
  • 確かに胸に響くけど、勉強すると理解がもっと深まる。マイケルの言は、勉強して理解を深めたほうが絶対おもしろい。
マイケル・ポランニーの前には日本の文学者坂口安吾の日本史論にただただ納得共感したことがあって、おそらくきちんと分析すればマイケルと安吾に知的共通点があることが証明されるのだろうが、ここでもまた外的証明など何の意味もないだろう。
  • 安吾の話は法社会学の講義でもしていた。当時どこぞの大学生が「栗本慎一郎坂口安吾の共通点」というテーマで卒論を書いた、と。
  • 僕は分析した論文があれば読みたいけどな

Howard Hunt Pattee

Hierarchy Theory; The Challenge of Complex Systems.

Hierarchy Theory; The Challenge of Complex Systems.

目次をみると表紙記載のPatteeは編者のようで、本書(1973)は複雑系システムに関する論文集だ。

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<目次>

Foreword v

Preface xi

  The Organization of Complex Systems 1 (28)

        Herbert A. Simon

  Hierarchical Order and Neogenesis 29 (20)

        Clifford Grobstein

  Hierarchical Control Programs in Biological  Development 49 (22) 

        James Bonner

  The Physical Basis and Origin of Hierarchical Control 71 (38)  

        Howard H. Pattee

  The Limits of Complexity 109(20)

        Richard Levins

Postscript: Unsolved Problems and Potential 129

Applications of Hierarchy Theories

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このPatteeの単体論文集がBiosemioticsの学会誌11月号として先月出版されたのだが、Polanyiを引用しまくり。Editor2名のうちひとりはホフマイヤー(まだ准教授か、このヒト)。もちろん、上の論文も含まれている。

値段が高い。

Patteeの論文一覧は下記サイトで確認できる(一部論文は参照も可)。Biosemiotics(Rothschild博士が作った言葉)の重鎮、という訳だ。

となると気になるのはマイケルがPatteeを知っていたかどうかだが・・・。 

知っていた。"Meaning"のp.176(第11章:秩序)に次の文章がある。

Meaning

Meaning

胚の発生を制御する原理を語っていく中で、ほとんどの生物学者はある単一のレベルのみのルールでこの原理を説明しようとしているが、一方で階層的な二重制御の原理が存在するという方向で研究を進めている研究者もいるのだとして、上述の1973年のPattee編集論文集を引いているのだ。

 すっきりした。まとめよう。

  1. 改めて、マイケルとBiosemioticsは相性が良い
  2. Meaningもきちんと読み込もう。いいことが書いてある。
  3. Patteの論文も積読リストに追加。

近況その2

twitterでの言語学師匠optical_frogさんの待望の翻訳書が出た。

言語における意味

言語における意味

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カバーをとってみた。20年後ぐらいに書棚でいい感じに仕上がるな、これは。

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optical_frogさん独自の補足図もつくのだ。

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サポートサイトでいろいろ試し読みができるが、翻訳者まえがきから紹介しよう。

かんたんな例を考えてみましょう.太郎と花子がお互いにこんなことを言ったとします;;
    太郎:「私が正しい,あなたが間違っている!」
    花子:「私が正しい,あなたが間違っている!」
2人の言い分は矛盾していますが,発している文そのものはまったく同じです.したがって,その文の意味も同じはずです.ということは,太郎と花子は同じ意味の表現を発して意味が異なることを言っているわけですね.もちろん,ここにはなんの背理もありません.表現そのものがもっている意味とその表現を具体的な場面で使うことで伝達される意味は異なる水準にあるという,ただそれだけの話です.前者は意味論の領分,後者は語用論の領分に入ります。

 分厚い大著だけれど、Aitchson's Linguisticsシリーズのようにこれから継続的に読んでいく。

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最初の写真に写りこんでいるのが、福井直樹の新著(というか、2001年旧著の文庫化)。

新・自然科学としての言語学: 生成文法とは何か (ちくま学芸文庫)

新・自然科学としての言語学: 生成文法とは何か (ちくま学芸文庫)

チョムスキー生成文法の企て』の訳者序説が冴えに冴えていて一発でファンになったので、即購入し読んでいる。

生成文法の企て (岩波現代文庫)

生成文法の企て (岩波現代文庫)

チョムスキー生成文法)についてはこれが私の主関心。この2冊を読み終えたら、もっと深くマイケルとわかりあえる気が、してる。

 

近況その1

7月の異動以来、ほとんどアウトプットができていない。

はぁ・・。

facebookで誕生日のお祝いの言葉をいただいたことだし(?)、近況をば。

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面白そうな本が出る。

生命起源論の科学哲学―― 創発か、還元的説明か

生命起源論の科学哲学―― 創発か、還元的説明か

amazonの内容紹介によると「本書の元をなす博士論文は学士院奨学金賞とパリ大学総局賞文系部門をダブル受賞した。フランス科学哲学の最前線。」だという。ググっても著者のクリストフ・マラテールについてはよくわからない。でも、マイケル参照は確実だろう。

年明けの出版が楽しみだが、値段もハルし、保険をうっておきたいところ。そこで、こんな書籍を翻訳している訳者ならば同じような問題意識を持ってるはずだとにらんで、東大の佐藤直樹の著書を入手し読んでいる。

エントロピーから読み解く 生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命

エントロピーから読み解く 生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命

「はじめに」から佐藤の問題意識を紹介しよう。

私は生物学を専門とするが、もともと学生の頃から哲学や思想には特別の関心をもって勉強してきて、いつか、両者を総合しようと準備して来た。本書はこうした生命の基本的かつ統合的な理解をも目指し、生命の理解の仕方や生命科学の教育に、新しい風を吹き込むことができると期待している。

副題の「めぐりめぐむ わきあがる」 は、佐藤が生命を統合的に理解するためのキーワードだ。めぐる=サイクル、めぐむ=与える、わきあがる=創発。下位層の循環的な秩序の勢いから新たな上位層がわきあがるというイメージだ。

地味な文章で知的興奮にはやや欠けるが、引用文献の一番目が清水博「生命を捉えなおす」だったり、エントロピーが物理化学と生命をつなぐ創発のキーだとしているあたりは、もちろんのごとく「意味と生命」を思い出させてくれて、俺的にはグッド。

この訳者なら、冒頭の書籍は購入OKだろう。

 ========追記 2013.1.11

みすず書房のサイトに冒頭書籍の目次と概要紹介が出た。

http://www.msz.co.jp/news/topics/07742.html

生命の創発を語る書籍の目次レベルで、マイケルが、暗黙知が一言も言及されないとはなぁ。立ち読みして索引見てから買おうかな。。。

<目次>

  • 序文
  • 第一章 生命とさまざまな生命起源論
    1 生命の定義
    2 生命の起源とは
  • 第二章 生命のさまざまな起源論──歴史的にみた問題点
    1 生命の起源についての歴史的アプローチ
    2 確かに煙はあるが、決定的証拠(スモーキング・ガン)は見つからない
    3 不確かな状況証拠
    4 生命出現が起きた時間幅は正確にはわからない
    5 何度も上書きされて解読困難な生命
  • 第三章 生命のさまざまな起源論──物理・化学的にみた問題点
    1 物理・化学的アプローチ
    2 生物を説明する図式
    3 依然として説明できない生命
  • 第四章 創発概念の発展の核心をなす生命
    1 生物の性質としての創発
    2 創発の不遇の時代と再生
    3 生命科学における創発の再浮上
    4 生命の創発についての現在の問題点
  • 第五章 さまざまな形をとる創発
    1 創発の哲学的概念
    2 イギリスの創発論者たちの考えた創発
    3 論理実証主義者たちの考えた創発
    4 機能説明的な意味での非還元論としての創発
    5 結論
  • 第六章 創発と説明
    1 水が透明であることは創発的な性質か
    2 創発と説明モデル
  • 第七章 実用主義的な創発
    1 還元的な(実用主義的)説明
    2 創発実用主義的な定義
    3 水の透明性への適用
    4 実用主義的な創発とそのさまざまな側面
  • 第八章 われわれの知識の現状に即して考える生命の創発
    1 実用主義的な創発の形式的な条件
    2 歴史的なケース
    3 物理・化学的なケース
  • 第九章 生命は将来もずっと創発的であるのか──前生物的な化学的過程と化学進化の検討
    1 部分過程における創発
    2 前生物的な化学的過程と創発
    3 前生物的な化学進化と創発
  • 第十章 生命は将来もずっと創発的であるのか──前生物的な自己組織化の検討
    1 部分過程における前生物的な自己組織化現象
    2 構造的自己組織化と創発──リポソームの場合
    3 機能的自己組織化と創発──自己触媒ネットワークの統計的モデル化の場合
    4 機能的自己組織化と創発──遺伝子ネットワークのモデル化の場合
    5 結論
  • 結論
    1 実用主義的な創発
    2 生命の創発
    3 その先にあるものは
  • 訳者あとがき
    引用文献
    人名索引