暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

クラーゲス

マイケルの"Knowing and Being"に次の一節がある。 

Knowing And Being: Essays by Michael Polanyi

Knowing And Being: Essays by Michael Polanyi

  • 作者: Michael Polanyi,Marjorie Grene
  • 出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr (Tx)
  • 発売日: 1969/01/28
  • メディア: ペーパーバック
  • 購入: 1人 クリック: 1回
  • この商品を含むブログを見る

---- 
Another Follower of Husserl, Dr F.S.Rothschild, arrived even eariler at the conclusion that the mind is the meaning of the body. He developed this idea widely in neurophysiology and psychiatry, where I am not competent to follow him. 
------ (P.222) 

anotherとあるのは直前でメルロ=ポンティの心身論について語っているから。フッサール現象学の後継者として、メルロ=ポンティと比肩するもう一人がRothschild博士だと言っている訳だ。 

精神が身体の意味だ、という結論にRothschild博士はいち早く到達していたのだとマイケルは指摘している。 その博士の主著が先日紹介した"Creation and Evolution"だ。

http://polanyi.hatenablog.com/entry/2012/06/03/184011

Creation and Evolution

Creation and Evolution

第3章が"The Influence of the Phenomenology of Ludwig Klages on Biosemiotics"というタイトルで、この章で博士はマイケルが引用した「精神は身体の意味だ」という一文はそもそもLudwig Klagesの著作からの引用であると述べている。 

---- 
Ludwig Klages regarded the relationship between the sign and what it represented as the basis of his understanding of the relationship between body and soul. 
(中略) 
Klages said: "the concept is the meaning of the word, the soul is the meaning of the body. The word is the attire of the thought, the body the attire of the soul. 
----- 

このあと博士は、自身の専門である神経生理学の知見を展開し、具体的にbodyとはCNS:Central Nervous Systemのことであり、中枢神経系の意味が精神なのだと論を広げていく。そこがマイケルにとっては、医学の知識が多少あるとしても"I am not competent to follow him."な部分になる。 

となると、本当にKlagesが上記のようなことを言っているのかが気になる。「うぶすな書院」という小さな出版社がクラーゲスの翻訳を最近積極的に行っている(余談だが、このうぶすな書院は三木成夫の本の出版元として知られている)。 

意識の本質について

意識の本質について

  • 作者: ルートヴィッヒクラーゲス,Ludwig Klages,平澤伸一,吉増克實
  • 出版社/メーカー: うぶすな書院
  • 発売日: 2010/04
  • メディア: 単行本
  • クリック: 1回
  • この商品を含むブログを見る

クラーゲスは、マッハの影響を受けていることを私に確信させつつ、次のように心身論を展開する。 

----- 
これまでいろいろ述べたので、なぜ心情と肉体との関係は、原因と結果の関係でないのかと言うことについてはもはや検討する必要はないであろう。それゆえすぐに現実の連関を明らかにしよう。それは「意味」と「意味の現象」との連関である。心情は肉体現象の意味であり、肉体は心情の現象である。心情が肉体に作用するのでもなく、肉体が心情に作用するのでもない。 
・・・ 
標識と標識が表すものとの間には原因と結果という関係は成り立たない。それにもかかわらずこの二つを互いに区別することは全く困難である。何かを伝えようと思う人は、決して発語の仕方について考えたりしない。そうではなく、伝えたい意味を考えるだけである。また何か話されたことを理解する人は、音から意味を聞き取るのであって必ずしも音そのものを知る必要はない。 
----- 

日本でクラーゲスの紹介に力を尽くしたのは坂口安吾の精神病入院時の主治医である千谷七郎だ。三木成夫もクラーゲスに心酔していた(三木の著作にはクラーゲスの影響が顕著だ)。最終的には主著である『心情の敵対者としての精神』三巻全四分冊に挑むべきだが、いかんせん価格が高い。本書は主著の予告編として最適だと言えるだろう。 
心情の敵対者としての精神〈第3巻・第2部〉

心情の敵対者としての精神〈第3巻・第2部〉

  • 作者: ルートヴィッヒクラーゲス,Ludwig Klages,千谷七郎,平澤伸一,吉増克實
  • 出版社/メーカー: うぶすな書院
  • 発売日: 2008/12
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 1回
  • この商品を含むブログを見る
 
恐らくは2度3度と読み返さねば啓示的で瞑想的なクラーゲスの叙述を読み込むことは叶わないかもしれないが、期待を裏切らないと断言して良い。クラーゲスは肉体(body)-心情(soul)-精神(spirit)の3階層を(そう明確には語らないが)描いている。心情は肉体現象の意味であり、肉体は心情の現象である。では精神は?それは心情と双極的な連関をもつ、心情に「敵対」する制御者として現れてくる。個人的に圧巻だったのは9章の「感覚論の基礎」だ。マッハを意識しつつマッハを乗り越える試みのスリリングな萌芽が確かにある。 

また、クラーゲスがいう「心情」は下條信輔が言うところの「情動」とほぼ同義だ。読めば読むほど、現代最新の認知神経科学と重なる先進的で重厚な思想を見出すことができるだろう。Rothschild博士は心情が現象している具体的な身体システムとしてCNS(Central Nervous System:中枢神経系)を捉えて分析を加えている(上述著書)。