暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

後成的風景(epigenetic landscape)

形づくりが語る進化の物語:倉谷滋×中村桂子

倉谷滋(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター)
中村桂子(JT生命誌研究館館長)

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(中村)
 1910年代に発生生物学者、具体的には前館長の岡田節人先生の先生であるウォディントンが提唱したキャナリゼーション(註26)の考え方に取り組む時代になっていますよね。集団発生学はその具体化。
註26:キャナリゼーション【canalization】
C.H.ウォディントン(1905~75)によって提唱された発生過程の概念。発生過程は“運河化(canalized)”されており、外因(環境)や内因(遺伝的撹乱)の影響のもとでも、発生の進行はある決まった方向へと導かれるとする。
(倉谷)
 ウォディントンの考えを察する研究者は今後増えていくでしょう。彼は、発生を坂道を転げ落ちる球になぞらえた。様々な遺伝子によって下からひっぱられた道は決して平らではなく、山あり谷ありですが、安定した場所で多少の外的擾乱やゲノムの変化が加わっても経路は乱れませんが、分水嶺に達した時は、わずかな揺らぎが大きく進路を変える。キャナリゼーションは、今の言葉を使えばゲノムが3%変わったからといって表現型が3%変わるわけではない。ゼロの時もあれば50%の時もあることを示したわけですね。
 生体内で起こる小規模な変異、例えば高温のためにアミノ酸にごく小さな変異が起きた時などは、シャペロンのような熱ショックタンパク質のはたらきによって、タンパク質の形は保存されるわけで変異が中立化しますね。ところが外からの撹乱で、それまでに蓄積された中立的変異が全部表現型として噴出することもある。発生経路は安定化しているけれど、閾値を越えた撹乱が非線形の表現型の変化をもたらす可能性があるわけでしょう。
(中村)
 より具体的にはなんでしょう。
(倉谷)
 昆虫の多型はその可能性が高いですね。ある種のシャクガの幼虫は、タンニンをわずかに多く摂取すると葉に擬態し、タンニンの量が足りないと花に擬態する。生きものが潜在的に複数の発生経路を持っているとすれば、多型こそが本来の姿と言ってもいいと思うんです。ゆらぎは安定化をもたらすと同時に進化の起爆剤になる。ここが面白いですよね。熱ショックタンパク質がはたらかなくなったショウジョウバエの変異体で、いろいろな表現型を起こす実験が成功した時は驚きました。変異がたくさん起きており、それをなんとか抑えて我々が生まれてこられるんだ、生きていけるんだということがわかったわけで。
(中村)
 少し前の時代までは、進化は実験的な対象にならないとされて、第一線からひいた年寄りが考えることとされていましたが、発生とつながることで面白くなりましたね。「エボデボ」、進化発生学の時代ですね。
(倉谷)
 当事者としては、これからどう盛り上がっていけるのか心配ですが。今やるべきことは、先ほど言われたように、胚が淘汰される対象であるということを見定めて、進化的変化を発生プログラムの変化として捉えて踏み込んでいくことだと思っています。