暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

ポランニーの猫

Knowing And Being: Essays by Michael Polanyi

Knowing And Being: Essays by Michael Polanyi


第14章「生命の非還元的な構造」より

The mind-body problem arises from the disparity between the experience of a person observing an external object, e.g.,a cat, and a neurophysiologist observing the bodily mechanism by use of which the person sees the cat. The difference arises from the fact that a person placed inside his body has a from-knowledge of the bodily responses evoked by the light in his sensory organs, and this from-knowledge integrates the joint meaning of these responses to from the sight of the cat; whereas the neurophysiologist looking at these responses from outside has but an at-knowledge of them which, as such, is not integrated to the sight of the cat. ......Mind is the meaning of certain bodily mechanisms; it is lost from view when we look at them focally.

土屋恵一郎訳で読んでみよう。

心-身問題は、外的対象たとえば猫を観察する人の経験と、その人が猫を見る時の身体のメカニズムを観察する神経生理学者との間の相違から生ずる。その違いは次の事実から起こるのである。身体の内部で人間は、光によって感覚器官のうちに喚起された身体の反応による「〜から」の知識をもち、この「〜から」の知識は、猫の視覚像を作るために、これらの反応を統合して関係性をもった意味へとまとめあげる。ところが、この反応を外側から見ている神経生理学者は、こうした猫の視覚像に統合されない「〜で」の知識を持つだけである。。。。精神は身体のメカニズムの意味である。しかしその意味は身体メカニズムだけに焦点をあわせてみるときに失われてしまうのである。

何度読んでも含蓄のある見事な説明だ。我々の知識/認識機構/現実を把握する力はその全てにおいてこのように働いている。

マイケルの論を敷衍すれば、マリーの部屋についても明確な答えを導くことが出来る。

wikipediaより

マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋から白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査させられている。彼女の専門は視覚に関する神経生理学である。次のように想定してみよう。彼女は我々が熟したトマトや空を見るときに生じる物理的過程に関して得られる全ての物理情報を手にしており、また「赤い」や「青い」という言葉の使い方も知っている。例えば、空からの特定の波長の光の集合が網膜を刺激するということを知っており、またそれによって神経中枢を通じて声帯が収縮し、肺から空気が押し出されることで「空は青い」という文が発声される、ということをすでに知っているのである。(中略)さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろうか。彼女はなにかを学ぶだろうか?

フランク・ジャクソンがこの問を設定したのは1980年初頭だが、12年前にマイケルは先取りして問題を設定し答えていたというわけだ。

at-knowledgeをどれだけ精緻に極めても、fromーknowledgeを得ることはできない。白黒の部屋の扉を開け彩色の世界に踏み出した時、マリーは天然色の視覚像に統合された「意味」としての新たな世界を見出すだろう。

ではこのat知識とは一体なんなのだろうか。

マイケルの例で言えば、観察者(人)と被観察物(猫)を結びつける「観察過程」がfrom知識だ。そして観察過程を観察しようとするとそれは観察過程ではなくなってしまい、at知識になってしまうのだ。

このあたりの話は渡辺慧も注目していて、一読を進めたい。

時 (KAWADEルネサンス)

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