暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

巨人 ヴァヴィロフ

ヴァヴィロフの資源植物探索紀行

ヴァヴィロフの資源植物探索紀行

  • 作者: ニコライ・イワノヴィッチヴァヴィロフ,Н.И.Вавилов,菊池一徳,木原記念横浜生命科学振興財団
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 1992/07
  • メディア: 単行本
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Michael Polanyiは主著『Personal Knowledge』で次のように述べている。

"Russia's most distinguished biologist, N.I.Vavilov"

本書はそのニコライ・イヴァノヴィッチ・ヴァヴィロフの手による驚嘆の探索紀行で、栽培植物を求めて世界中を訪ね歩いた様子が描かれている。この探索紀行自体は1916年から1939年頃の約23年間に為されており、ヴァヴィロフと親交の深かった京都大学農学部教授・木原均の名を冠する木原記念横浜生命科学振興財団が翻訳を手がけている。

ヴァヴィロフの探索紀行は表面上次のような実用面に主眼をおいている。

われわれはわが国での栽培化に適した植物に特別に興味を持っったので・・・つまりソビエトの農業植物栽培上の欲求にしたがって探索活動の方向を決めたのである・・・各地から得られた品種間の交雑や多くの国々で品種改良専門家が粘り強く育種活動を行うことで、実用面で非常に興味深い新品種が育成された。

社会主義ソ連の成立状況を鑑みれば当然に見えるこの表明はしかし、次のような明確で強固な科学的理念に貫かれてもいるのであった。

この種の探索では最上位にあるべきものとして、ひとつの基本的な考え方、つまり理念がその中になければならないということである。つまり、植物地理学の考え方、植物界の進化とその各段階の連続性、空間的・時間的広がりの中での変化、固有の栽培種と野生植物の変異、ということに関するものである・・・最初に種を形成した発祥地と、その後の栽培植物の方々への移動による分散を発展段階から系統的に研究する植物学的立場だ・・・・。


探索に赴いた地域は、イラン、パミール、アフガニスタン、ヌリスタン、アムダリアなどの国境隣接地域に始まり、西中国、日本、台湾、朝鮮、地中海諸国、シリア、パレスチナ、ヨルダン、アルジェリア、モロッコ、チュニジア、アビシニア、エリトリア、エジプト、ギリシャ、イタリア、スペイン、ブラジル、北アメリカ、南アメリカと、数え上げるにきりがない。

ヴァヴィロフはいかにも実直なロシアの科学者といった風で当時の政治状況や各地域の風景・気候・言語・文化風俗なども紀行記に綴っている。1916年に訪れたイランのある部落では、大勢の人々がペルシア語の指輪の印形を押印した書類を執拗に渡してくる。中身を読んでみるとそれは州の地方長官の許しがたい横暴の数々を記し、ロシア皇帝に更迭を訴えた嘆願書なのであった。またある部落では、予期せぬ過度の格式張った歓迎を受けた。どうやらヴァヴィロフがロシア皇帝の義弟であると偽って通訳していた事がわかり(それも私服を肥やすため)、この通訳とはすぐに手を切るのだった。

パミールの旅では、ピャンズ川のこんな夜景を眺め、
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昼間は切り立った断崖のこんな道を馬で前進するのである。
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1929年に日本を訪れた記録も少し紹介しよう。

東京で最も驚くべきこと、それは本質的にこの国全体がそうであるが、何らかの目的に役立っている植物が際限がないと言えるほど形態上の多様性を示していることである。野菜市場へ行ったが、ヨーロッパ人である我々訪問者は、植物の種や属が多様なことを見て驚いた・・・日本の果樹(もまた)驚くべき形態を示している。

これら(野菜や果樹)と並んで市場では色とりどりのありとあらゆる魚、多数の軟体動物の仲間、ホヤ、ナマコがみられる。われわれはここでは西南アジアの世界と著しく異なる、新しい植物相と動物相からなる特別な世界にいることは明らかである。

日本人は多種多様性を愛する。菓子店では数えきれないほどの種類のケーキやキャンディーをみることができる。まるで誰かがある目的のため、味について、また外観について、何が何でも次々と新しいもの、新しい食べ物を発見しようと一生懸命努力しているかのようだ。


京都大学では「栽培植物の起源」と題し講演会も開かれた、ヴァヴィロフは何度もこう繰り返した。

日本が世界文化に貢献した最大のものが2つある。1つは桜島大根、もう1つは温州みかん。」

こうして世界中で収集された種子は全ソ植物生産研究所(VIR)に保存され一大コレクションとなった。新品種開発のためにソビエト国内のあらゆる品種改良機関に供された。1926年には学者として初めてレーニン勲章を授与された。ヴァヴィロフは国際的にも評価が高く、イギリス学士院会員、エジンバラ王立学会会員、アメリカ植物学会名誉会員、など多くの学術団体に属していた。

だが彼は、(ヴァヴィロフの遺伝学に真っ向対立する)ルイセンコの策謀により1940年8月6日チェルノブイリで植物探索旅行中に逮捕され、過酷な取り調べを受けた後、1941年7月9日の簡単な裁判だけで銃殺刑の判決を受け、サラトフの刑務所で1943年1月26日栄養失調で死亡した。このあたりの経緯は隠蔽され最近まで不明であった。

本書は基本的には1900年代初期の旅行記としてもとてもよく書けている。世界地図片手に位置を確認し、栽培作物についてはgoogleで画像検索などしながら1ページ1ページ楽しんで読み進めることができる(私はそうした)。まさに世界旅行だ。また学術的にも、植物地理的微分法に基づきヴァヴィロフが提唱した栽培植物起源論を追いかけることもできる。集団の変異性は、その種が発祥した地域において最も高く発現するという一般論だ。

何を求めて研究者は辺境の地に挑むのか。このIntellectual Passionに共感できると面白い。