暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

懇親性:ポランニ・ソサエティは出席に値する最高の学術会議なのかも。

http://www.commongroundsonline.org/content/conviviality-why-polanyi-society-may-be-best-scholarly-meeting-attend

2010/11/14
by Esther Meek

年次総会や年次会議に出席する専門家は多い。そうした学会の日程は、論文を読み、発表を聴き、それらについて議論をすることで埋まっている。うわー!あなたの悲鳴が聞こえる。同情の余地はあるけれど、でもそれは研究者が先に進むために必要なことなのだ。論文を提示し、擁護し、有用な批評を誘発することで研究者は成長する。加えて、研究費を負担してくれる大学の教員であるということは大変に恵まれたことなのである。

私はマイケル・ポランニーの生涯について学位論文を取得し、ポランニ・ソサエティに出席するようになった。それからというもの、ポランニ・ソサエティは私について回り、ありがたいことに論文を披露するよう求めてくるようになった。業績も名前もよく知っているソサエティのメンバーと会うのがどんなに楽しみだったことか。彼らは旧友であるかのように私の仕事をよく知っていて、とても驚いた。1999年前後のことだった。それ以来、ポランニ・ソサエティを欠席したことがない。

会議は種々雑多なメンバーからなり、ほとんどは私より年上の男性だ。ポランニーの生前を知っていて、彼をファーストネームの「マイケル」で呼ぶ人もいる。著書を出してる人も多い。キリストのような見た目のイエズス会修道士もいるし、カトリック教徒の神学者夫妻もいる。フットボールプレイヤーのモンタナのような体躯の人もいるし、私立大で西洋古典講読(great books program)を教える学部長もいる。宗教学部出身者もいるし、カラテの黒帯保持者もいる(私よりたぶん若いけど)。ナパ・バレーから来ている退職したコンサルタントもいて、自分がいかに優秀かを語り、ある時は私が飛行機に間に合うようにシカゴのオヘア空港までタクシーを飛ばしてくれた。道中ずっとポランニーと仕事の話ばかりだったが。運がよければ、きらきらしたおめめにマフラーと口ひげをたくわえたオランダ人に会えるかもしれない。ポランニ・ソサエティのジャーナル寄稿者とメーリングリスト登録者を全て覚えている編集者もいるし、真っ赤なスポーツカーを運転しビーチで賛美歌3番(O Worship the King)を歌う政治哲学者兼メソジストの牧師兼独身男性もいる。彼は歌う。「雨と降り、谷を走り、野に流れ、海に至る」。保守的な神学を旨とする女性の哲学科教授もいる(私のことだが)。そのほかにも、後進を委ねたい優秀な若手研究者たちなどがいるのである。

私たちは毎年11月になると前年とは違う町に集い、時には秘密裏に、お互いを見つけ出す。発表を聴き、自分も論文を発表し、途中ずっとそれらに目を通す。食事の時間になるとレストランを探して町の区画を数ブロック歩きながらもずっとポランニーについて語り続け、深夜に至る。そしてまた次回まで解散しそれぞれの生活に戻っていくのだ。

今年私は、論文を発表する生徒を一人同伴した。発表前なのに、参加者の幾人かは彼女の論文の出来映えを暖かく褒め称えた。なぜポランニ・ソサエティのメンバーは、会議の参加者をこれほど歓迎し、新たな思考やそうした考えを持つ人々を受け入れることを是とするのだろうか。

私が思うに、それは私たち全員がマイケル・ポランニーの流儀に習っているからだ。マイケルの認識論(知の哲学)は、創造的で新鮮な知見を得るために領域横断的に他人の声を聞き、彼らと共生する、謙虚で開かれた流儀を特徴としているのである。

マイケルは懇親性を大変強力にモデル化した人物だ。主著Personal Knowledgeの認識論において、彼は懇親性について語っている。あらゆる知識は「暗黙の係数」に根ざしている。知の暗黙的係数は、集団に共有され維持される。懇親性は、未分節なレベルで知的情熱を共有し、現実のコミュニケーションに関与する。懇親性は親密な共同体を組成する。とりわけ小集団や共同活動においてその緊密さを強化する。言語/文化/理解とは、懇親性によって成立しているものなのである。我がポランニ・ソサエティの仲間たちは常に次の言葉をモットーにしている。「懇親的に、何某さん」。

マイケルの認識論は西洋近代やポストモダンといった他の認識論とは根本的に異なる。それらに蔓延している個人主義/孤立主義/競争ではなく、根源的な知見を目指し船乗りが操縦する冒険の旅として知を捉えているのだ。より深い真実を求め、人々が謙虚に現実に耳を傾けるようになる認識論。

マイケルの認識論のおかげで、ポランニ・ソサエティはとても魅力的で心躍る会議となっている。なぜこんな話をしているか。それは、懇親性がキリスト教的な精神を表していると思うからということでもある。

来年の11月にきっと皆さんは参加されるでしょう。合間を見てポランニーを読み始めるかもしれません。そしてきっと懇親性というものに驚くことになるでしょう。

楽しそうだなぁ、ポランニ・ソサエティの年次会議。

今年はアトランタでやったみたいで。
http://www.missouriwestern.edu/orgs/polanyi/2010pprs/2010-Meeting-10-18-10.htm

(あ、セッション1の演題がマイケルとパースだ)

食事の時もずっとマイケルの話をし続ける一日。
楽しそーーー。

このブログの著者のEsther Meekは、ジュネーブ大学の哲学科 准教授。
彼女が連れて行った学生は6番目、最後のプログラムで発表してますな。
“Beyond Liberalism and Fundamentalism, Toward Polanyi.”

貴重なお話、ありがとう。