暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

女と技術 中西準子

勢いで買った岩波講座の月報に、中西準子先生のエッセイが掲載されていた。
面白いところを抜粋しておきたい。

岩波講座
転換期における人間(全10巻、別巻1)
7 技術とは
月報10
1990年3月

女と技術 中西準子

私の専門は、下水道計画を中心にした環境問題なのだが、10年くらい前には、「洗濯機は水をたくさん使うからけしからん」とか、「水洗トイレは、水を沢山消費し、環境を汚す。昔ながらのくみ取り式トイレにして、農業に使うべきだ」という声が、環境保護運動の人々の中には強かった。しかし、私はこういう意見には反対で、洗濯機や水洗トイレを前提にして、下水道計画を立て、河川の水質を論ずべきだという考えだった。環境保護もいいけど、結局家の中の、苦しくいやな仕事を女に押し付けている男の「きれいごと」だと私には受け取れた。その時、新しい技術に対する期待度が、男と女でずいぶん違うんだなと感じたものである。

生まれてくる子供の男女を選べるなどという話も、「混乱は起きそうだが、最終的には男女差別がなくなるのに寄与するのではないかしら」と考えることもある。
妊娠していたときの、「自分の子どもだけはなんとか・・・・」という祈るような気持ちを思い出す。もちろん、自分だけ逃げようなどと思わずに、障害のある人も幸せに生きられる世の中にしなければならないのは、百も承知である。しかし、現実には女の方に何か身体的遺伝的問題でもあるように言われ、さらには、その子の世話で、女の専門などふっとんでしまうのは、目に見えている。だから、子を産む前に染色体チェックができるという話を聞くと、もし自分が今妊娠していたら、その試験を受けたいという誘惑に勝てたであろうかと、実は自信がない。そして、多分、男の方は「そんなもの受けるな」と割合簡単に割り切れるのではないかと思う。

女の方にこそ、新しい技術に対する期待が強い。現在の秩序を大きく崩しかねない”攻撃的”な技術に対する誘惑が強い。それは、この社会の中で、男に比べやや不利な立場を、新しい技術でカバーしたいからだ。営利と名誉欲の象徴のように見える”新しい技術”の、潜在的な支持者は女のような気がする。