暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

20年以上前の議論整理

(1)ヒトの身体は人類史的にも歴史的にも流動的で相対的。身体感覚は変化しているし、場合によっては形態や器質的な変化さえある。(『幻想としての経済』)

(2)身体の変化は歴史変化の主体である。社会構造とか思想とか宗教などが主体じゃない(『パンツを捨てるサル』)。『銃・病原菌・鉄』のうち、銃と鉄は技術として画期的だけれど歴史動因の主体じゃない。

(3)近代は崩壊しつつある。近代社会システムが崩壊するなんて生やさしいことじゃない。今まさにカラダが変わる、変わりつつあるのだ。(『パンツを捨てるサル』)

(4)(2)(3)を説明しうる具体的な現実のシステムは何か。それは「外部」によって身体は変化させられるということ。象徴的な物言いではなく、具体的には外部=ウィルスだ。(『パンツを捨てるサル』)

(5)レトロウィルスの逆転写、RNAの逆転写によりDNAは変わり、身体が変わる。DNAに入り込みDNAから身体変化の指令を出すというウィルスの効き方。それが一つ。(『パンツを捨てるサル』)

(6)もう一つ見えているのが、ニューロン同士をつなぐシナプスでやりとりされる神経伝達物質を受信するレセプターを増減させるというウィルスの効き方。特に、免疫系の活性・非活性を司るインターロイキンのレセプター増減にウィルスが関わることがわかっており、これが病の発症をコントロールしうる。(『パンツを捨てるサル』)

(7)全ての動植物と同じく、ヒトにも快感がセットされている。(『パンツをはいたサル』)

(8)過剰−蕩尽はヒト独自の快感セットのシステムの結果としての構造だ。(『パンツをはいたサル』)

(9)快感セットは文化で微妙に変わっていたり(エロティシズムを何に感じるか)、自ら変えられる余地を含むものではあるが(SがMになるとか)、基本的なカテゴリはあらかじめ生物学的にセットされている。

(10)この基本セットが、快感を司るA10神経系の神経伝達物質ドーパミン)の増減(をコントロールする)によって、調整されうる。(『パンツを捨てるサル』)

(11)以上から、つまり、「外部」によって身体が変わり快感セットの方向が変わり歴史が変わる。

(12)一体なんだ、これは。

(13)我々の自主的で自由な意志は、無駄で無価値な幻想なのか。

(14)そうではない。

(15)現時点での我々の意志・精神は、身体システムに大きく依拠しながらかろうじて萌芽している、まだまだ不完全な包括的全体現象なのだ(The rise of Man)。

(16)層の理論が導くものは、上位層は下位層に依拠するが還元されないということ。すなわち、過剰−蕩尽という快感セットからの解放(違う快感セットへ)、さらには快感セットそのものからの解放という途が見えている。

(17)これは、ウィルスによる身体変化によりヒトの集団をある方向に誘引するという形の「全体システム」を拒否するということでもある。

(18)パンツを捨てるというメタファはそういうことだし、全体像の新たな作動原理を見いだすコミットメント(Commitment)が必要になるということだ。

(19)おそらくそうした身体システムからの解放と精神の新たな作動原理は、ヒトの精神を諸細目・部分とする次なる包括的全体のステージがおぼろげながらも見えてくる時、可能となるはずだ。