学会論文
栗本先生の最初期の学会論文は下記になります。
社會經濟史學:35巻4号 1969-12-20
一八六〇年代末イギリス製鉄業の実態
Actual Conditions of the British Iron Industry at the End of the 1860's
所属名が慶応義塾大学大学院博士課程です。
社会経済史学会はもちろん現在も続いています
http://www.waseda.jp/assoc-sseh/jp/contents/index_j.html
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70年代に入り、テーマ的には似た論文を天理大の学報に栗本先生は発表しつづけます。
天理大学 学報 1972年1月号
「産業資本段階末期ブラックカントリー製鉄業の技術改革とその経営上の影響について-1-」
天理大学 学報 1972年9月号
「資本主義経済史の方法と世界資本主義論」
ところが、翌73年から急に経済人類学系の論文を書き始めます。
天理大学 学報 1973年3月号
「経済人類学の意義と貨幣論の再講成--「富の一般的代表物としての貨幣」論」
http://ci.nii.ac.jp/nrid/9000008223856
この「転換点」的論文の内容を先生自身が紹介している記述があるので、以下引用。
私は、かつて、「経済人類学の意義と貨幣論の再講成」という小論で、貨幣が交換から発生してくるものではないこと、またたとえこの歴史的経過を理論的に措定しなくても、一般等価物を基礎に貨幣論を展開させると、労働の商品の成立を説かないまま労働価値説を論証したつもりになるという、宇野理論が正しくも指摘した、資本論における商品論の欠陥と同質のものが、貨幣論に発生すること、つまり物質的で統合された市場機能が理論的に説明された後でないと一般的等価物を導く理論的根拠がないことを指摘した。この批判の正当性は保たれていると思われるが、扱われた問題は、ひとつの論文で理解させうるほど小さなものではなかった。また、原始経済の貨幣分析の後に、すぐ直結して理論的批判を述べた点で、主旨の徹底性を欠くところがあった。
現代思想 1977年3月号
「経済人類学とは何か」
若さに基づく熱意と誇りに満ちている。
クリモト経済人類学はその初源から貨幣論を中心的な問題領域として設定していることを改めて強調したいところだ。おそらくはカールによる「貨幣とは、言語や秤量や尺度と同様の、意味論上のシステムなのだ。」という言明に強烈にインスパイアされているはずで、ここの理解を素通りしてパンサルに進んでしまうと「知的」な楽しさ・ワクワク感を最後の一滴までは味わい尽くせない。
Prof. Kurimoto have developed a powerful historical epistemology.