SILVER by WALTER DE LA MARE - 福原麟太郎 -
Slowly, silently, now the moon
Walks the night in her silver shoon ;
静かに、ひそやかに
今冷たい静かな月が黙って夜の空を歩いている
銀の靴を履いて
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[s]音を頭に重ね[l]音を2つずつ、都合4つ聴かせるので如何にも静かでなめらかな感じが出ている。shoonはshoesの古い形。Cinderellaが履いたような靴か?
This way, and that, she peers, and sees
Silver fruit upon silver trees
此方、また彼方、月は覗く
銀色にちらちらしている樹の葉の間に、果実も同じく銀色に仄見えている
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This wayの次にカンマがあってand thatと続いているのは、カンマなしより効果がある。読者はカンマで自然、息を休める。急がず迫らず悠々たる姿である。peersは、事実としては月が覗いているわけではなく、月を見上げる人が、あちらでキラリ、こちらでキラリと光っている月に心を惹かれ始めている心持ちを表している。月が見る(sees)というのも、月光に照らされて銀色に光る森の様子が月を見る人の注意に上ってくるということ。
One by one the casements catch
Her beams beneath the silivery thatch ;
ひとつ又ひとつ、田舎の開き窓がどれもこれも月光を捕らえて白銀に光っている
それらの窓の上には草屋根がうっすらと同じ銀色を帯びている
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ここまでくると、にぶい読者でもこの詩の韻に気づく。moon-shoon ; sees-trees ; catch-thatchという風に、隣り合った2行がいつも同韻で、2行単位できちんと締めて進んでいる印象を与える。
Couched in his kennel like a log,
With paws of silver sleeps the dog ;
丸太のように犬小屋の中でゴロリとなって
銀色の足をして犬が寝ている
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月の銀を見る人の視線は身近なものに移っていく。1行目にkennnelとあったので読者は犬を想像させられながら、ゴロリとなって丸太のように動かず、月光の底に四足を休めて、小屋の中で安心して眠っているものが「犬」である事を最後に明かされる。この印象の完成は心持ちが良い。
From their shadowy cote the white breasts peep
Of doves in a silver-feathered sleep ;
月光に照らされ内部が影になって薄暗い鳩の巣の丸い穴の中から
白い突き出た丸みのある胸がひょいと覗いている
銀の翼したる眠りにいる、鳩の胸だ
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詩を読んでいる我々の心の目には、屋根の軒下かどこかに3つ4つ並んでいる四角な箱に丸い出入口の付いたdove-coteがほの暗く現れてくる。その穴から突き出た胸の先にだけ月の光が明るく、くっきりと照りかかっている。美しい静かな情調である。
A harvest mouse goes scampering by,
With silver claws, and silver eye ;
野ねずみは臆病そうに、ちょろちょろと走って、もう姿を隠した
銀色に光った爪と、銀色に輝いた小さな目をしていた
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鳩の巣からさらに視線は(天上の月からだんだん大地へ)身近に移る。
And moveless fish in the water gleam,
By silver reeds in a silver stream.
眠っていて動かない魚たちは、水の底で鱗が仄かに光っている
銀に流れる水底 、銀色の葦の佇むほとりにて
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銀の階調の最後にくるものは、前に出た犬や鳩や鼠などから、ある時間的経過を思わせて、小川に眠る小魚、鮒やハヤの類いである。
月夜の静けさと銀色の光の底に沈むものの美の感覚を良く唱っていると思いませんか。
※福原麟太郎 著『英文学を如何に読むか』 ← amazonにない
昭和2年5月 研究社発行
現代英詩二篇 より
Silver (Four Seasons of Walter de la Mare Book 4) (English Edition)
- 作者: Walter de la Mare
- 出版社/メーカー: Faber & Faber
- 発売日: 2017/04/04
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明治の人物誌
久し振りに偉人伝を読んだ(最近流行らないね、伝記というジャンル)。
SF作家星新一が描いた『明治の人物誌』だ。
渡部昇一先生がいろいろな著作で『自助論』(1859)を高く評価していて、イギリスで出版された12年後の1871年には日本語に翻訳され(『西国立志編』)一大ベストセラーとなり、人口に膾炙し、このSelf-Help=自分で努力して自分で未来を切り開くという考えが日本の明治維新の精神的礎になったという。
当時の文字が読める人はほぼ全員が読んだのではないかというこの本。売上部数100万部以上。『西国立志編』なかりせば、明治維新は成し遂げられなかったであろうというのだ。確かにそうかも。何か事があれば社会や政府に物事を要求するだけで自助がない国民が一定割合以上いる国では、維新は無理であったろう。
翻訳を手がけたのは中村正直。なかなかの人物だと思われ、簡単な伝記が読みたくてamazonをググったら出てきたのが『明治の人物誌』。全部で10人の人物を描いているが、一番最初が中村正直で、以下ご覧の通り。
当初は同郷の野口英世まで読んで終わりにしようかと思ったが、ぐいぐい引き込まれてあっという間に最後の杉山茂丸まで読み終えてしまった。西洋列強に肩を並べようと必死に努めた日本の実態は、こうした人物達の自助に大きく依存しており、
一国の価値は、つまるところ、それを構成している個人の価値にほかならない。 ジョン・スチュワート・ミル
という『西国立志編』の引用そのものなのであった。ちなみにこの10名、どういう基準で星新一に選ばれたかというと、父親である星一(はじめ)と強い繋がりがあった人物ばかりなのである。著者が描こうとしたのは、10名を通した自分の父親と当時の日本の 立体透視図なのだ。
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良い読書というものは次の読書欲を喚起する。私は新渡戸稲造と杉山茂丸の両名に関心が湧き、まずは新渡戸の著書2冊を手に入れた。『武士道』と『衣服哲学講演録』だ。
武士道 Bushido: The Soul of Japan【日英対訳】 (対訳ニッポン双書)
- 作者: 新渡戸稲造,樋口謙一郎,国分舞
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後者はamazonに在庫がない。新渡戸稲造によるカーライル「衣装哲学:サーター・レザータス」の講演録だ。新渡戸はサーター・レザータスを原書で30回以上読んでいて、バラバラになった原書のページ毎に白紙を挟み込んで再製本し、メモ書きできるようにしたという。これだ。
杉山茂丸は次の著書を「欲しいものリスト」に加えた。楽しみだ。
Gettysburg Address
Lincolnのゲティスバーク演説の結びの句、
"the government of the people, by the people, and for the people"
「人民の、人民による、人民のための政治」と覚えていたが、喜安璡太郎の『湖畔通信』でこの "of" の訳が誤りであることを教えられた。簡単に纏めておこう。
齋藤秀三郎の『実用英文典(Practical English Grammer)』では、前置詞"of"の所有格を説明する際に主語所有格(subjective possessive)と目的語所有格(objective possessive)を区別している。
主語所有格:
the conquests of Caesar
the writings of Plato
これらは、シーザー「が」略取した地、プルート「が」書いた書物であり、普通に訳せば「シーザーの略取地」「プルートの書物」となる。リンカーンのthe government of the people「人民の政治」と同じだ。人民「の」政治とは、人民「が」治めることだ。
だがこのofを主語所有格とすると、by the peolpleと意味がかぶってしまう。人民の政治(of the people)と人民による政治(by the people)は同じ事だ。
喜安璡太郎はこの"of"を目的語所有格とした。齋藤秀三郎の実用英文典の文例によれば、
目的語所有格:
Caesar's conqurst of Gaul
the writing of the book
つまり、シーザーがゴール人「を」征略/ 本「を」書くこと、だ。リンカーンの演説が目的語所有格であれば、人民「を」統治すること、となる。
governmentには「政府」と「政治すること」という2つの意味がある。リンカーンの用法は明らかに「政治すること」の意であるから、「政府」と訳してはいけないというのが喜安の論だ。人民「の」政治ではなく人民「を」政治することであり、目的語所有格だというのである。
福原麟太郎は『英国的思考』で適切な訳を示している。すなわち
- 人民が(by)人民のために(for)人民を(of)治める
素晴らしい。完璧な訳だ。
湖畔通信では、大家である市河三喜がこのofをthe people's governmentと解していると記している。日本語の「の」は、主格にもとれるし属格にも取り得る。
私は喜安=福原説の目的語所有格を取りたいと思うが、「主権在民」に慣れて自分達が主人公という意識が強すぎる現代日本人からすれば、治められる対象として目的語所有格を付与された人民を民主主義の主人公とするには抵抗があるかもしれない。
Mamma Mia ~ Here we go
日曜日朝8:00から新宿バルト9で観てきました。客席はガラガラ。
1作目を観ていれば十分楽しめます。
若かりしドナを演じるリリー・ジェームズはチャーミングだし、ターニャとロージーもそっくり。特に若きロージー役のアレクサ・デイヴィーズはくりそつ!
最後のMy love,My lifeでメリル・ストリープが出てきてアマンダと絡むシーンは思わず涙が・・。
でも、ストーリーの組み立ては1作目が数段上。例えば、ドナがサムに告げる"The winer takes it all."の様な圧巻のシーンはない。残念。
それより、スカイは無職でこれから家族をどうやって喰わせていくんだ。仕事ほっぽり出して戻ってくるなよ~。ソフィも、前作でサムに見出された「絵」の才能を伸ばすべく島を出たんじゃないのぉー?(冒頭で前作最後の唄を歌うソフィは良かった、うん)。
サウンドトラックがamazon primeで聴き放題。早速スマホにDLしました。
現代思想の316冊
全23分野、316冊。あまりぱっとしなかった、1,400円もしたのに。で、哲学系レビュアー独特のクドくて自意識過剰で仲間内に語りかけるような文体にげんなり。
例えば、最初の「大陸哲学」。レビュアーは檜垣立哉というひとだけど、
何が大陸哲学なのかということには、一見すると論争の余地はない。・・・その意味するところは誰にとっても明確である。
あっそ。私にはさっぱり明確じゃないよ、大陸哲学。
で、次の「分析哲学」の加地大介というひと。
(私がブックガイドを書くというのは)もとより無理な話である。・・私には望むべくもない。・・・こんなのでも良いかと尋ねたところ、寛容にもお許しをいただけたので・・・
事前に予防網張りまくり。断れよ。
23分野のなかで最も面白かったのは人類学。春日春樹さんというひとは存じ上げないのだが、読んでみたいと思う書籍がいくつかあった。例えば、フィリップ・デスコラ『自然と文化を越えて』
- 作者: Philippe Descola,Janet Lloyd,Marshall Sahlins
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『自然と文化を越えて』が与えた影響は大きい。自然・文化という大前提、人間が非人間に対して有する固有性と優越は、すべて近代西洋の構築物に過ぎない。
(Hatenaブログ購読中の)鈴木彰仁先生の著書も最後に紹介されているし、『負債論』を積極的に評価する姿勢にも好感。
「人間」ていう分野もあって、『理不尽な進化』で山形浩夫に褒められてた吉川浩満がレビュアーで、3ページぐらいの、あまり面白くない、書籍の羅列文。
「社会学」はぱっとしないし、「フェミニズム」は何故か評者が2名もいて、なんなのこの優勢感。「クィア・スタディーズ」は初めて聞いた分野。「政治学」「歴史学」には期待したのだけれど、そそられる書籍はなかった(あるいは既読)。
「宗教学」の島薗進では、この1冊が面白そうだった。
「建築論」にはクリストファー・アレグザンダーがなかったなぁ。
- 作者: クリストファーアレグザンダー,Christopher Alexander,中埜博
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「経済学」では若森みどりが説く
「劣化する新自由主義」論はとりわけ含蓄に富んでいる。
とのこと。
カール・ポランニーの経済学入門: ポスト新自由主義時代の思想 (平凡社新書)
- 作者: 若森みどり
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「統計学」は脚注までたっぷりあって、好きな人にはたまらないのかもしれない。「数学」は小島寛之先生。どうしても自著を薦めてしまうのがおちゃめ。
よくわからん映画だった
物語は淡々と進むのだが、???。
主人公の少年時代の虐待は何?理由は?母親のことは恨んでいないの?
女の子も、なんで目をつむって数字をカウントダウンしているの?
知事のいいなりで警察は人殺しをするの?
シチュエーションにも登場人物にもあまり感情移入できなかった。
監督のインタビューはこちら。
神道と仏教
外部研修で神保町に行ったので、帰りに三省堂書店に寄ったら古本市が8Fで開催されていました。
500円で売っていたので購入。
昭和23年の座談会「神道と仏教」が収録されていて、やり取りが面白いので少しご紹介。参加者は、臼田甚五郎、折口信夫、和歌森太郎、座田司氏、横山秀雄、小野祖教。
折口:インテリゲンチアを当てにして宗教はできないと思いますね。・・・いつでもインテリ以下のものに対象をおく必要があると思います。
大拙:インテリ以下ということは好かないな。インテリ以上といってよかろうな。宗教というと愚民相手のように考えるけれども、私はそうは思わん。愚民というものはインテリゲンチアよりも大いにいいところがある。
大拙:神道は元来、武の神様が多い。八幡様は第一そうだ。・・・鉄砲や原子爆弾も八幡様になるかもしれませんけれども、八幡様に行って「どうぞお助け」ということはない。キリスト教でいうような救われたいと思うような神様が日本にない、神道にそれがない。・・・日本の八百万の神様の中では、ゆるすということをする神があるかどうか、神様をけとばしても、そのけとばした者をゆるすという神様がいらっしゃるかどうか。
座田:八幡様は・・源氏の氏神とあがめさせられたのですが、まだその当時には武の神の性格というものはおもちになっておらなかった。・・もともと八幡様の性格といたしましては、どうしてもこれは海の漁の神様、農耕の神様であり、鍛冶の神様であるとあると考えております。
八幡様は不思議な神様。ここで、栗本先生に登場頂きましょう。
本書での主要論点は、神社本庁傘下の約8万の神社のうち、二位(伊勢信仰系、約4400)をはるかに引き離して数的な一位に立つのが八幡神社系7800であるということ、そしてこれが『古事記』にも『日本書紀』にも記載されない起源を持っていることだ。・・・また、八幡信仰は8世紀に突然登場して以来、応神天皇崇拝と習合していきなり高い格が与えられたりしたし、・・・八幡信仰は八幡神への信仰を柱とする一神教信仰の性格があった。これは他の神道に比べてある種欧米的というか特殊であるのだが、・・・島田氏は結論として八幡信仰は朝鮮半島由来の外来神ではないかと述べられる。これは驚くべき結論である。・・・評者は八幡信仰が仏教や天皇崇拝と習合していったから浸透したのではなくて、その前に民衆の精神に根付くものを持っていたからこそ逆に習合「された」のではないかと考えているが・・・
僕ら日本人は自分達のことが今ひとつよくわかっていない。