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冨山房 『大英和辞典』

 

ことば・文化・教育―アングロサクソン文明の周辺

ことば・文化・教育―アングロサクソン文明の周辺

  • 作者:渡部 昇一
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 1982/07
  • メディア: 単行本
 

 雑誌「英語教育」に連載していた渡部先生のコラムをまとめた本書には、冨山房の『大英和辞典』が2箇所出てくる。

ひとつは「ガバナビリティと英和辞典」というコラムで、

 ロッキード問題が熱くなってきた頃から、ガバナビリティという耳なれない言葉が流行してきた。どうもおかしな使い方をしていると思っていたところ、「統治能力」という漢字にガバナビリティというルビをふっている週刊誌の表紙を見てその原因がはっきりした。もちろんガバナビリティの意味は統治能力ではなくて被統治能力のことである。

 現行の英和辞典にきちんと「非統治」の意味が掲載されていないからマスコミも間違えてしまうのではないかと調べてみると案の定、

ガバナビリティに関しては、現行の英和辞典は調べた限り、すべて曖味である。研究社、岩波、小学館ランダムハウスの大辞典もすべて、統治能力と解釈できる訳語ばかりであって、被統治の観念が明らかでない。 

ことが判明した。ところが、昭和6年刊行の冨山房『英和大辞典』にはきちんと非統治の意味が明記されているという。

冨山房の大英和ではどうなっているかと言えば、それが明快至極なのである。まずgovernableという形容詞には、「①管治さるべき(GOVERN, v. 各意義参照)。②従順なる」という二つの意味を与えているが、いずれも完壁である。「管治」という漢語は耳なれないが、governのところには「統治」も使ってあるし、そこを参照するように指示もしているからこれでよいであろう。さらにgovernabilityについては「①管治又は管理さるべきこと)、②従順」とあってこれまた一点の疑義も容れる余地がない。特に「従順」という意味をあげているのが目ざましい。 

で、これが実物。確かに!

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governability

もう1箇所出てくるのは「Constitutionの訳語と『冨山房大英和』」というコラムだ。

constitution を憲法と訳す習慣は今も一般的であり、無用な誤解を与えたり、無用な晦渋さを産み出しているようである。たとえば大野精三郎氏の『歴史家ヒュームとその社会哲学費岩波書店 一九七七)の目次を見ると、「十六、七世紀のイギリス憲法と政治体制」とか「アングロ・サクソン時代から十六世紀までのイギリス憲法機構の性格」などという項目が見える。まさかヒュームの『英国史』の専門的研究をしている学者が、イギリスにいわゆる「憲法」がないことを知らないはずはないと思いながら

私は渡部先生のこのコラムを読んで初めて知りましたよ。イギリスには成文法としての憲法が「ない」なんて。

 ある法律が公布されようとするとき、「それが英国の体質に合っているかどうか」と論議するのがイギリスの憲法(?)論議なのであって、書かれた憲法の第何条に違反するとかしないとかを論議するのではない。国の体質、つまり「国体」としてみんなに漠然と意識されているものによって、ある法律がconstitutionalか否かを間うのである。constitutionalとは人間で言えば「体質的なもの」であり、法律について言えば「国体的なもの、国体に反しないもの」なのである。日本では七世紀初頭の聖徳太子の「憲法」以来、「憲法」といえば成文憲法を指すことになっているので、成文化されたことのないイギリスのconstitutionを「憲法」と訳すのは誤訳と言ってよいであろう。

 ここでも現行の英和辞典を確認するのであるが、「国体」の訳語を与えているものはない。しかし、明治人が編纂した『冨山房大英和辞典』にはきちんと「国体」が掲載されているのである。

 さらに精密なのは飯島広三郎『大英和辞典』(冨山房)であって、①設立 etc. ②体質 etc, ③(a)国憲、国体、政体 (b)憲法 (c)制度 etc. (d)規則 etc. (e)勅令 etc.となって、間然するところがない

 

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ちなみに現在私が愛用している学研アンカーコズミカ(2007.編集主幹 山岸勝栄)には、governabilityという単語は掲載されておらず、constitutionには「憲法」と「構成、構造」「体質」の訳が付されている。