暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

マリア・ルーズ号

 

東風西雅 抄 (岩波現代文庫)

東風西雅 抄 (岩波現代文庫)

 

 

「太平洋の奴隷貿易」という章がある。1943年6月の東京新聞に掲載されたものだ。戦時中ではあるが、宮崎市定は、

外国人の書いた東アジア外交史、中国人の書いた華僑史には屡々この間の真相を見落としている嫌いがある

として、太平洋の奴隷貿易=苦力貿易に終止符を打ったのが、

明治初年日本政府が大英断を以て世界の目の前で行って見せた正義のための奮闘の賜ものに外ならなかった

と書いている。twitterで呟けば今ならネトウヨと誹られそうだが、歴史的な事実を重視する宮崎はこう主張せざるを得なかった。

欧米近世の繁栄は奴隷制度の上に立てられたと言って過言ではなく、19世紀に入って清国国民を奴隷化する苦力貿易に変形してさらに約100年続くのだが、それに終止符を打ったのは開国して近代化を進めていた日本なのであった。

 

アヘン戦争敗戦で南京条約を締結(1842年)した清国では、欧州人が勤勉な中国人苦力に目を付け、多くはキューバの砂糖園とペルーの鉱山へ奴隷として移送していた。

マカオで騙されて連れ去られた231名の苦力をペルーに搬送中だったマリア・ルーズ号は、機関の修繕で横浜に立ち寄る。その際、1名の苦力が船から脱出し、外務卿副島種臣と其の腹心である神奈川県令大江卓の保護下となった。この大江卓が傑物で、後に娼妓芸妓や穢多非人の制度廃止を主導した人物。欧州各国領事館からの抗議干渉にもかかわらず、人道に背く奴隷貿易は認められないとして、すべての苦力を解放したのだった。

もう少し詳しい話が知りたいと思ってamazonを検索したがピンとくる書籍がなく、日本の古本屋で再検索。すると、昭和19年刊行の『奴隷船』がヒットした。

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宮崎の新聞記事が昭和18年だから、もしかすると宮崎の記事に触発され国威高揚で慌てて出版されたものかもしれない。著者は小川記正。

マカオで祀られている阿媽が実は昔、中国人を欧州人から救った日本人であり、マリア・クルーズ号に捕らわれた苦力が「再び阿媽=日本人が我々をこの苦しみから救ってくれるハズだ」と信じていて、実際に大江に救われるというストーリーはやり過ぎな感があるが、船長ヘレローの抗弁書や各国領事館からの抗議書、大江の判決文などはほぼ正確に記載されていて面白い。少しびっくりしたのは、大江の判決を不服としたペルーが、ハーグの国際審判所に提訴していることだ。しかも裁判官はロシア皇帝アレクサンダー2世。そして大江の判決は正しいとされたのだった。

 

宮崎は別の章で

今の左翼ほど非歴史的なものはない

と指摘する。

口を開けば日本の侵略主義というが・・・それはおそらくアジアの凡ての民族から精神的支援を受けて行われたことを、今の人たちは知っているだろうか

 

同書には、複雑なチベット問題の歴史的経緯を簡潔に記した「歴史からみたチベット国境問題」も掲載されている。オススメ。