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暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

下町の祭礼文化

神道国際学会 定期刊行物『神道フォーラム』第51号(←リンク)より

 6月9日、横浜国大での講義には、栗本氏が登場。・・・日本の祭礼や文化の歴史的な起源、特質などについて学生にレクチャーした。

 栗本氏はまず、今につながる祭礼の起源について、「せいぜい6世紀の頃にできあがったものにすぎない」とした。そして、その直前の状況に関して、応神王朝のころに中国の中原地帯、ウルムチ近辺から弓月氏秦氏の祖)の一族が来朝し、日本で行われていたアニミズム(自然信仰)に取って代わる信仰形態をもたらしたと話した。

 続いて栗本氏は、自然の中で営むアニミズムには存在しなかった神社(神殿)を作ったのも蘇我氏系だとし、中央アジアにあった太陽信仰も加え、神社やアマテラス崇拝は確立したとした。そして「いわゆる日本神話というものも、じつは極めて新しいものなのだ」と強調。その上で、「水田農耕の定着」「大陸から進出してきた民族の動き」「移入した思想を加味してまとまった日本神話の成立」という時期を捉えて、「4、6、8世紀というのが重要で、時代の画期となった」と語った。

 その日本神話について同氏は、「スキタイの神話と酷似している。今のカザフスタンの西側にいたスキタイの人たち、つまりパルティア(安息国)が関係している。蘇我氏がそれを意識的に日本に持ち込み、神話を作っていった。それを奪取したのが天皇系の集団だった」と考察を展開した。

 同時に栗本氏は「双分制」についても論究。政権を担う王と、陰の王が存在して分治する連合国家シュメールの制度が日本にも影響を与えたとした。

 「天皇と為政者、右大臣と左大臣、山の文化を持った山岳の民と常民と呼ばれた低地農耕民--。そこには対立とか支配というものは薄く、二つの異質なものが同居し、分担していた」と話し、文化の共存性を指摘した。 

 話題はさらに、時代を下っての信仰の変質へ。栗本氏は八幡信仰の祭礼にも話を進め、「八幡信仰は武神だが、その大規模な祭礼が、天皇や武士とは異なる形で盛大に広まったのは江戸時代になってから」と話した。 

 出雲系のスサノオを盛んに祀ることについても、「スサノオを前面に出して祀るなんて本来だったらありえないこと。支配されている庶民が自ら共同体を作り盛り上がるために、近世になって祭礼を賑やかにやった面がある」と述べ、同時に「祭礼には騎馬民族に関係がある要素も見られる」と、その複雑さを指摘した。 

 最後に同氏は、より古い古神道が残る神社の存在に触れ、「いわゆる日本神話に文句を言っている。つまりそこでは、歴史観がまったく違う」と紹介。また、神社の変質や変形、さらには新しい要素が加わる場合があるとして、「時々のいきさつによって、都合のいい書き換えもある」と強調した。