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暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

Polanyi前夜(これはFictionです)

栗本先生は、学究生活の初めから「歴史」に強い関心を持っていて、最後に世界史に還っていったんだな、という話*1

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 慶應義塾大学の学部時代、栗本先生は文学研究会と理論経済学研究会に参加していたが、2年の後半から自治会の方が忙しくなってやめてしまった。卒論は金融論。東海銀行に内定が決まっていたところ、「どうも銀行ではやっていけないんじゃないか」と思い始めて大学院に進んだ。慶應の院には社会経済学史会で活躍していた塾長の高村象平がいて、そこで経済理論をやった。

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当時の西洋経済史は大塚史学が主流の生産力中心史観。社会は最初非常に単純だが、だんだん複雑になって発展していくという考えで、その発展のゴールがイギリス産業革命だった。典型的な資本主義成立の道を歩んだという意味でイギリスは日本の目指すべきモデルであり、国内生産から市場が徐々に拡大していくことで資本主義経済が形成される(一国資本主義論)という説明がなされた。

また、文系の研究方法はどこをみても訓詁主義の文献第一主義であり、マルクスの『資本論』がバイブルのように取り扱われ、彼の一言一句に本居宣長の『古事記伝』のように訓を付ける作業が学問とされ、論文の末尾に総括としてマルクスの引用を掲載することさえあった。

栗本先生は進学した大学院のこうした知的状況に大きな違和感を感じた。実際、イギリスの産業革命は国内に閉じた毛織物工業から起こったのではなく、インドとの対外交易(綿製品)を中心に起こっていたのだから。明確に言語化できていなかったがマルクス貨幣論にも不満だった。学問としての経済学には先行きがないんじゃないか、どこかでオレと同じことを考えている学者はいないのか。

ちょうどそのころ、和歌山大学経済学部長に就任したばかりの角山榮が自宅で『イギリス史研究会』を立ち上げた。「大塚史学以後のイギリス史は魅力がない。今後どうすればよいか研究会を開いて頂けませんか」と川北稔と村岡健次の両名が角山の私宅を訪れたのがきっかけだった。

角山は戦前から京大で経済学を学んでいた。関西ではもともと大塚史学に批判的な研究者が多かったが、角山も、大塚に魅せられてイギリス経済史を専門に研究を開始したものの、大塚史学の誤りを訂正したり、新しいキーワードで私論を展開するなど独自の活動をしていた。また、今西錦司共同研究会(全く異なる専門分野の研究家を交えてあるテーマの討論・研究を進める場)にも参加した。ある日、研究会のメンバーだった植物学者の中尾佐助から角山はイギリスの食事について尋ねられた。曰く、イギリス人は何を食べているのか、イギリスの台所にまな板はあるのか、包丁はあるのか等。文献第一主義に慣れた角山は中尾の質問に答えられず恥をかいた。が、振り返って、こうしたイギリス人の暮らしを支えている基本的なことをまったく知らずして果たしてイギリスの歴史を語れるのか。角山はフィールドワークの重要性を強く意識し、イギリス留学を通して人類学のフィールドワークの手法を経済史に積極的に持ち込んでいた。

私宅での『イギリス研究会』を始めて間もなく大学紛争がいっきに全国に拡大した。多くの大学で全学ストによる学校封鎖で授業ができなくなった。そこへ研究会に飛び込んできたのが、イギリス産業革命期の鉄工業の研究をしていた慶應院生であり、慶應全学ストのリーダーである栗本慎一郎だった*2

栗本は東京からわざわざ東名高速名神高速を三菱の新車で*3飛ばしてやってきた。遠方だから声をかけた覚えはなく、角山は驚いた。 おそらく口コミで誰かから情報をきいて駆けつけたに違いない*4。角山の家に入ってきたとき、段ボール箱を担いでいたので「それなに?」と聞いたら「束脩です。中味はかっぱえびせん。やめられない、とまらない、そのコピーは自分が作ったんです。」とこたえた*5。それ以後、毎月1回開く研究会にはスト、大学封鎖が続く限り、東京からクルマで駆けつけて参加した。栗本のそうした行動を高村象平は知っていたようで、しばらくして高村から角山宛に「栗本君をよろしくご指導給わりたい」と記した手紙が届いたそうだ。 

角山榮はその後、『茶の世界史』『路地裏の大英帝国』といった書籍で生活史の視点から見事に世界史を切り取ってみせた*6

茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 (596))

茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会 (中公新書 (596))

 

 

路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史 (平凡社ライブラリー)

路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史 (平凡社ライブラリー)

 

 

しかし栗本先生は生活史には進まなかった。

フィールドワークの結果としてお茶に注目し、お茶とそれをめぐる事柄がヨーロッパの歴史を決定している、という視点は面白い。でも、そうした視点はいくつでも展開可能だ。砂糖とそれをめぐる事柄がヨーロッパの歴史を決定しているとしたのが『甘さと権力』だった。

甘さと権力―砂糖が語る近代史

甘さと権力―砂糖が語る近代史

 

お茶と砂糖、どちらが正しいのか、どちらも正しいのか。

不毛にすぎる。

そして栗本先生はカール・ポランニーに出会い、経済人類学を選んだのだった。

 

 

 

 

*1:2014/11/08に栗本先生に確認したところ、角山先生の記憶が間違っている、とのこと。

*2:2014/10/18 追記:栗本先生に本件を直接尋ねたところ、「いや、院生時代じゃなくて天理大学に就職したあとだったはず」、とのこと。

*3:2014/10/18 追記2:これも直接栗本先生に聞いたところでは、学生時代はポンコツ自動車で新車になんて乗れなかった、とのこと。

*4:2014/10/18 追記3:繰り返しになるが、栗本先生本人の弁によると、院を卒業して天理大学時代に角山さんから声がけがあって出向いた記憶はあるのだが・・・とのこと。

*5:2014/10/18 追記4:しつこいが、これも栗本先生の記憶にはないらしい。次回11/08に再度お会いするので、その時に本書を持ってくるようにとのご指示有り。

*6:2014/10/18 追記5:これまた栗本先生に教えてもらったのだが、10/15に角山先生は逝去されていた。知らずに質問した自分が恥ずかしい。合掌。