暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

沈黙交易 1979-2013

著者アイヌ関連の精力的な研究者で有り本書が刊行されたことも知っていたが、先週新宿の紀伊國屋書店で偶然見つけてページを繰ると、「栗本」「ポランニー」が頻出している。購入し読んだ。栗本経済人類学に関心のある方にはお薦めしたい。

アイヌの沈黙交易―― 奇習をめぐる北東アジアと日本 ―― (新典社新書61)

アイヌの沈黙交易―― 奇習をめぐる北東アジアと日本 ―― (新典社新書61)

 

 瀬川によれば、沈黙交易の実在については疑問の声も有り、「ポランニーや栗本慎一郎のようにこれを実在の習俗と考え」る研究者がいる一方、「沈黙交易に関する資料は聞き書きばかりで、実証的に裏付ける証拠はきわめてとぼしい、とその実在を疑う研究者も少なくない」と言う。この議論は実は1979年の『経済人類学』第6章 沈黙交易でも触れられていて、  

経済人類学 (1979年)

経済人類学 (1979年)

 

  デ・モラエス・ファリスやゲイバーらが「きちんとしたフィールドワークによって裏付けられたものではない」とその実在を否定しているとしている。2013年の瀬川が引き合いに出している否定論者はフィリップ・カーティンだ。これは、友人であるドン・デ・ヴォイさんがmixiの栗本コミュ及びカール・ポランニーコミュで2010年6月に紹介してくれていた(ただしそこでは、沈黙交易論への反論ではなく再配分論への反論としてのご紹介だった)。 

異文化間交易の世界史

異文化間交易の世界史

 

 瀬川は「アイヌや北海道に限ってみても、沈黙交易は古代・中世・近世各時代の資料に記録されており、さらに日本側資料だけでなく中国側資料にもみられるのです。これらの記録をすべて虚偽として一蹴することはできそうもありません。」と、栗本・ポランニーに賛同を示し、沈黙交易=異人との接触忌避交易(栗本理論)を敷衍し、具体的にアイヌにおける沈黙交易の実例文献分析及び彼らの表層上の意識である穢れ観念について論を進めます。

またコロボックルについても、栗本先生は「和人に追われて北海道の地に来たアイヌのさらに先住民族の表象」だろうとしていました(1979)が、瀬川によると北海道アイヌから15世紀頃に分かれた千島アイヌだろうとの独自の立論も展開していて、面白い。

ちなみに、瀬川も栗本先生(1979)も沈黙交易の先行研究としてグリアソンを引いているが、

沈黙交易―異文化接触の原初的メカニズム序説

沈黙交易―異文化接触の原初的メカニズム序説

 

 2013年に文庫化された『経済人類学』の脚注では「邦訳も出たが、原著を読んだ方がよかろう。」と、きちんと後続邦訳をフォローしていて、さすが先生!と感心してしまった。w (それにしても、ハーベスト社の邦訳の着眼点はユニークだね) 

経済人類学 (講談社学術文庫)

経済人類学 (講談社学術文庫)

 

 今回のエントリの結論。

  1. 2013年の文庫版まえがきで「展開を期待したものがほとんど実現しなかった」「諸学者の研究を喚起したいという意味も意識」していたが「33年たってもまだ十分ではない」と栗本先生は嘆いているが、こうして瀬川のように自分の研究分野に消化・展開してる例もあるのです、先生。
  2. が、しかし一方で、では沈黙交易の意味は何か(社会の全体性に従属する不可視の諸制度のひとつ)という点については、1979年の『経済人類学』第6章及び第12章で披露している「実在論的認識論及び生命論」が現時点で広く研究者に膾炙しているようにはみえないのも事実。前述のまえがきで「ああここはカール・ポランニーでなくマイケル・ポランニーを論じておくべきだったな」としているのは、まさにこの点だろう。私の、課題だ(と、嘯いておこう)。