暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

エネルギー オストワルド著

「本書はLeipzig のVerlag von Johann Ambrosius Barth から"Wissen und Konnen" 叢書の第一巻として発行された、ヴィルヘルム・オストヷルト(Wilhelm Ostwald, 1853-1932)の著、Die Energie, 1908, 2 Aufl. 1912. を訳出したものである。」

我々の見地から見れば、生命の仮令(たとえ)充分とはいえないにしても本質的なる特徴は、不断のエネルギー活動である。一生物体とは、何を差措いても先ず継続的にエネルギーを外部より摂取し、継続的にそれを外部へ放出するところの一形体である。この際、その形体並びに其の他の存続性は本質的な変化を蒙らず、或いは極めて緩徐なる変化を示すに過ぎないのであるから、外形維持の下に於ける不断のエネルギー変転ということにこそ、生物体の第一の本質的特徴が考えらるべきなのである。この如き、内部の変転にも拘わらず或る一定の存続性を保持するところの形体は、定常的形体と呼ばれるものであるから、従って生物体は先ず第一に定常的実体たるのである。

生命を特性付けるに此の定義だけで充分でないことは、生物体以外にもなお多数の定常的なものが見られるという事実によって直ちに明らかとなる。即ち、焔は同様に物質及び他種エネルギーの断えざる出入の下にその形体を不変に保持するところの一形体である、流れも亦、その水は不断に更新されるとはいえ、同様の行動を示す。然しながら、両者の場合の、それらが定常的性質を有することによって見出される生物体との類似性は、既に大衆の悟性の中に極めて明瞭な形をとって入り込んでいるのであって、『生命の流れ』とか、或いは『生命の焔』とかいう比喩的な表現が汎く使用せられていることによっても示される。反之(これにはんし)、本質的に変化を起さぬ・山或いは海の如き形体、変化は起すけれども定常的な変化ではない・嵐或いは雲の如き形体は、未だ嘗て生命と類比されたことがないのである。

エネルギー的形体が定常的に維持されるためには、持続するエネルギーを不断に補足するところの源がなければならぬ。この補充を広義に於ける
養分と名付ければ、営養は決定的にあらゆる生命に所属するものとなる。勿論かような意味では、焔もまた流れも、養分を要するわけである。何となれば、それらが排泄したものを再び外から供給してやることがなければ、両者は共に途絶えるより外はないからである。然しながら、本来の生活体に於いて我々が見出すことは、それらが自己の養分を自力で摂取するということである。植物や、また多くの海産動物の如く、その構造上動けないために適当な養分の流れ寄ることを俟たねばならぬようなものに於いてすら、流れ寄る物質の中それらの養分として適当なるもののみを確保し得る装置を有する限り、養分に対して活動的に働きかけることが知られているのである。この性質こそ、生命なき定常的物体には欠けて居、従って生命に特性的な性質なのである。

茲に於いて、無機的世界には用いられなかった・目的の概念或いは合目的性の概念が新しく登場する。上の如く、ほかの物はそのままにして養分のみを把握するということは、当該形体の存続を確実ならしめるところの特別な性質である。この性質は、形体の維持がその目的であると考えれば、合目的的なるものとなすことが出来る。それ故、生物学的見地に立てば、合目的的と云うも維持的と云うも、同じことを意味するものに過ぎない。何となれば、(広義の)維持ということ以外には生物学的な目的はないからである。そこで一般に用いられている人間的な目的概念の多様性のために、不明瞭や或いは誤謬に陥らぬようにするためには、このことを確実に把握して置く必要がある。