生命の共振
月刊アーガマ 1990.5
生命の共振 なぜ、いま人々は立ち上がったのか?
栗本慎一郎
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(トランシルバニアの血の歴史、東欧の激変、ルーマニア・チャウシェスク政権崩壊の話題・・・)
チャウシェスクがひどいやつで、トランシルバニアの人たちは十何年前から食うや食わずだったという。じゃ、なぜ十何年前に起きないんだ、なぜ今なんだ。
構造からは説明できない。そこにはもっとラディカルなものがあって、人の心を動かしたり、革命を起こしたりするものがあって、ということを考えなければ歴史は見えませんよ、ということをいう任務がぼくにはあるような気がするわけ。経済人類学との関係でいえば、カール・ポランニーが生きていたら、必ずこういうことをいっただろう、それから次に起きることを予測して、こうだといったに違いないと思うことがあるので、ぼくはそれをやりたいんです。
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それはすでに人々の心の中に、ある合意ができあがっていたというふうに考えなきゃいけない。じゃあ、人々の心の中に、先に合意を作るものがあるとしたら、それはいったい何だ。もちろん、不正義に対する怒りとか、正義に対する信頼とか、そういったものが一般的にはなくてはならないし、これがゼロではスタートしないけれど、そういう気持ちは十年も二十年も多くの人々の心にあった。
しかし、人々の心がお互いに影響し合って、いつのまにか、もうやるしかないということになって、本当にやってしまわせるものは何かということです。デジタルにいえば脳の中の問題ですよね。それをつくりだす要因というのは何かというと、それは必ず地球のリズムとつながっていますよね。そこまでですね、いまいえるのは。
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私のいっていることを、唯想論ではないかというふうにいっている人がいるけれども、それはそうだと思います。唯想論でいいと思います。想いが物を決定するという意味においては、唯想論であってもいいんだけど、なぜ唯物論じゃないかというと、物でとどまらない、物をつくりだすというのが想である。
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この唯想論の想は、想の集団的トレンドの流れを考えることによって、地球上の歴史をかなり根本的に大きく理解することができるし、それと神とのかかわりみたいなものをかなり考える。
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西欧的(形而上学的、キリスト教的)枠組みを取り外したところの根源というのは、やはりいくつか段階があるけど、とりあえずは宇宙との共振現象、共鳴現象としての、生命としての自分を考えるということでしょう。まだまだ、もっと先があるというふうに思いますけどね。
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