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暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

実体、目的、因果、函数

E.マッハ 感覚の分析 読書メモ

色、音、熱、圧、空間、時間等々は多岐多様な仕方で結合しあっており、この綾織物から相対的に固定的・恒常的なものが立ち現れてきて、記憶に刻まれ、言語で表現される。相対的に恒常的なものとして、先ずは、空間的・時間的に結合した色、音、圧、等々の複合体が現れる。この複合体は決して絶対的に恒常的なものではないが、相対的に恒常的なものの総和に我々は特別な名称を授ける。これが「物体」と呼ばれるものであり、実体概念が立ち現れる瞬間だ。


<中略>

生物学の領域に属する諸現象は、現在のところ「目的論的」に考察され我々はそれを了承している。種の保存のため、生き残るため、XXをするためetc。。。発育現象や動物の本能行動を「因果論的」に理解することなど及びもつかない。目的論的考察を通じて初めて発育現象や動物の本能行動hは注目を引くようになり、脈絡のある統一的な全体像を築くことができる。

<中略>

一方、物理学の領域に属する諸現象は、徹頭徹尾「因果論的考察」によって規定される。物体の加速度は動力因ーすなわち引力、重力、電気を持つ他の物体の現存−などによって規定されるのである。目的論的考察が入り込む余地はない。

<中略>

しかし、しかし。物理学と生物学という両考察領域が本性上全く異質であり、一方はもっぱら因果的に、他方はもっぱら目的論的に把握されるべきだという信仰は正当化できない。生物学的な事実複合体は非常に錯綜しており、ざっと見渡しただけでは直接的な連関を看取できないのであるが、しかし、考え方をちょっと変えれば目的論的な問題を「目的概念が全然介在しないような」仕方で定式化することができる。目的論的研究は、暫定的なものというに過ぎない。


<中略>

全てが因果概念に収束されるのだろうか。因果性の表象とは、「一定量の原因に一定量の結果が継起する」ということである。しかし自然における各種現象は1つの原因と1つの結果とを指摘できるほど単純ではない。加えて、アニミズムや呪術の発動原理ともなるのが原因-結果的思考である(呪ったから相手が死んだ)。したがって、因果概念に替わる何かが必要なのではないか。

<中略>

因果概念は函数概念で置き換えることが可能だ。すなわち、現象相互間の依属関係、より精密に言えば「現象の諸徴表相互間の複数の依属関係」を示す函数概念で置き換えることができる。

全ては関係なのだ。