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暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

キリスト教神学

マイケルと宗教、特にキリスト教神学との関係は興味深い論点であり続けている。あまり触れてこなかったが、ID論を研究するためにBaylor大学に設置された'Michael Polanyi Center'の顛末についても、どこかで誰かが整理する必要があるだろうと考えている(マイケルの宗教論を分析した佐藤光の著書でも残念ながら触れられてはいない)。

ローマ教皇twitterを始めたというニュースが先週話題になったが、そのベネディクト16世がマイケルの著作P.K.と同じようなことを述べているという話題がblogに上がっていたのでご紹介。

カトリック総本山とマイケルの共通点?気になりますね。

Steve Smith, Michael Polanyi, Benedict XVI, Scientific Naturalism and the Tacit Co-Efficient: Further Thoughts on the Oklahoma Conference
http://mirrorofjustice.blogs.com/mirrorofjustice/2011/05/steve-smith-michael-polanyi-benedict-xvi-scientific-naturalism-and-the-tacit-co-efficient-further-th.html

前半は省略して(Steven D. Smithは法と宗教の関係を研究している学者。文中で紹介されている書籍も面白そう)、後半でベネディクト16世の2つの講演内容とP.K.を比較している。

まずは2006年のドイツ・レーゲンスブルク大学での講演。この(内輪の)講演で彼はジハードを批判するかのような発言を行いメディアから批判を受けたイワクツキ。「信仰、理性、大学――回顧と考察」と題するこの講演はアカデミックで格調高く、関心のある方は一読を勧めます。
英文はこちら。
http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/speeches/2006/september/documents/hf_ben-xvi_spe_20060912_university-regensburg_en.html
幸いなことに日本語訳もこちらにある。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message143.htm

ベネディクト16世はこの講演で「近代理性の批判」を明言します。しかしその批判は近代理性の撤回や否定的批判ではありません。科学と疑似科学を分断している「反証可能性」という枠組みから理性は開放され、信仰と結びつけられるべきだと言うのです。

もうひとつの講演は2010年のイギリス・ウェストミンスターでのもの。
英文はこちら(日本語訳は見つからなかった)。
http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/speeches/2010/september/documents/hf_ben-xvi_spe_20100917_societa-civile_en.html

宗教の力を借りることで、理性は客観的な道徳規範とでもいうべきものの発見に到るだろうとベネディクト16世は述べている。物理学や化学において進展した物質の「合理的構造」に関する知見と、一方で宗教が成し遂げてきた魂と自然についての知見を、近代の科学的理性はうまく結びつけることができないでいることを問題視しているのである。

ではこれらのベネディクト16世の発言が具体的にP.K.のどの箇所と似通っているというのでしょう。それは「3部:人格的知の正当性」−「9章:客観的懐疑批判」−「7節:宗教的懐疑」の最後のパラグラフです。

「客観主義は我々が真理をどう捉えるべきかを完全に見誤らせた。我々が明確に知っていて証明可能な物事を賞賛し、一方で我々が知ってはいるが証明不可能なものを全て不明瞭な言質で隠蔽してしまうような態度を取らせることになったのだ。この隠蔽されてしまうほうの知識こそが、我々が証明可能だとする物事全ての基底に横たわっているものであり、その証明の正しさを保証するものであるというのに。」

ここで引用されているお互いの文章だけ読めば、確かに似通っています。

そうするとこの2人(マイケルとベネディクト16世)は一体どこで繋がっているのか。ベネディクト16世がマイケルの著作を読んでいるわけでははないとブログの主も考えているようで、2人を繋げているのはアウレリウス・アウグスティヌスであろうと言うのが結論で、私も賛同します。

ベネディクト16世の学生時代の博士号取得論文はアウグスティヌスに関するものでした。P.K.においてもアウグスティヌスは人名として頻出し、

「ギリシア哲学を終焉させ、初めて脱-批判哲学を創始した。」

と絶賛しています。

1980年代終わりから90年代の中頃(具体的には1995年)まで、宗教と科学の融合・統合が活発に論じられた時代が日本にはありましたが、成功したとは言えないまま20年が過ぎようとしています。マイケルの意図・遺志を十全に汲み取り、新たな全体的ビジョンを得るための継続的検討が必要な時期なのだろうと、密かに考える日々であります。