暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

現代思想1988年1月号 特集-生命のセマンティクス-

創発する生命(栗本慎一郎) −生命の正のフィードバック−

p68
それは「行動主義」あるいは「行動原理中心主義」とでもいうようなものです。どういうことかと言いますと、何かが起きてる時にそれが起きている動きの原理あるいは発動の原理こそが重要なのであって、そこにどういう材料が登場しているかということは、重要ではないとは言わないまでも、そこから結論に至ることはないという、極めて明解で単純で強力な主張です。

p68
本当に問題なのは、情報という素材を用いて新しくできあがる、そして新しい原理によって行動したり形態をつくりあげていくということで、これが層の上位の原理なんですね。

p72
つまり、創発の過程を、あるいは創発のマイナーな擬似過程みたいなものを、私共は追うことができるんじゃないか、ということです。

p73
変化がいつおきているのかということを、私たちはまず考える必要がある。どういうことを変化とするのかを考える必要がる。それは、せんせんわからないことではない。我々は、ヒトとサルははっきり違うということを知っているわけだから、どこで変化したのかということ自体は、あとを埋めていくという作業をしていけばいいわけなんだから。

p74
どこでどう使うのかという原理、あるいは原理に対するアプローチをもたなければ、失敗もできないという、そういうことなんだと私は言っているわけです。

p76
状況というのは、上位の意味のかたちを変えた、ベールを被った姿ですよね。それが「状況」です。そのことの意味することは、我々が行動するときに、常に上位を意識しながら下位を位置づけようと行動しているということです。

p76
全体像は言葉で説明できないにもかかわらず、我々は全体像を持って行動している。全体像を持って諸細目を扱っているということですね。ここに「意味」の意味もあるわけです。我々は既に意味を持ちながら、それが見えないという一連の行動をしているということになるわけです。