暗黙の焦点 別宅。

Michael Polanyiに捧げる研鑽の日々。

科学的発見を導く直観

引き続き、寺田寅彦を読む。

寺田寅彦随筆集 (第2巻) (岩波文庫)

寺田寅彦随筆集 (第2巻) (岩波文庫)


彼の時代(1920から30年代)の日本ではアインシュタイン相対性理論やボーアの量子力学などの知見が広く知られていたようだ。実はこの第二巻は、「ルクレチウスと科学」という随筆が全300ページ中56ページも占めており、科学に対する態度(科学とは何か!)を明快に語っている。数学(理論)と器械(実験)に対する偶像的礼拝を示す当時の学生たちに多少の不満を漏らしつつ、科学的発見の本質はそこにはないと断言する。そしてその「本質」を説明するための有効な素材としてルクレチウスの書物を紹介してゆく。

ルクレチウスとはローマの詩人哲学者(紀元前1世紀!)だそうで、寺田は彼を「一つの科学的黙示録(アポカリプス)」だと述べる。実験や測定により仮説を検証しているような書物ではない。何せローマ時代の詩人ですから。第一篇は女神ビーナスに呼びかけた祈りの言葉で始まっているのだそうだ。しかしルクレチウスの記述は、非常に多くの科学的暗示と仮説を提示している、らしい。
実は僕はその内容にはあまり興味がない。この随筆が断然おもしろいのは、寺田が重要視しルクレチウスを評価する理由である「暗示」「直観」に対する考え方だ。寺田は言う。

  • 科学上ではなんらかの画紀元的の進展を与えた新しい観念や学説がほとんど皆すぐれた頭脳の直観に基づくものであるという事は今さらに贅言を要しないことである
  • 近代物理学に新紀元を画した相対的原理にしても、素量子力学波動力学にしても、直観なしの推理や解析だけで組み立てられると考えることがどうしてできよう。
  • ほとんどいかなる理論的あるいは実験的の仕事でも、少しでも独創的と名のつく仕事が全然直観なしにできようとは到底考えられない。「見当をつける」ことなしに何事が始め得られよう。「かぐ」ことなしにはいかなる実験も一歩も進捗することはあり得ない。

アインシュタインがすでに17歳のとき相対性理論を「知って」いて、それを理論化するのに何十年もかかったことを手紙のやり取りで明らかにしたマイケル・ポランニー。科学的発見を導く最初の一撃としての直観の力を、「創造的想像力」という造語まで作って何度も何度も強調したポランニー。そしてこの直観の力こそが生命進化の力の源であり、次のレベルを形作る上位の制御原理の創発を発現するきっかけなのだ、と・・・・・。
まさに寺田はポランニーと同じことを重要視し、語っている。しかも明らかにポランニーよりも20年ほど先行して。誇らしいですね、なんか。
寺田の随筆は青空文庫で無料で読める(参照No.234)。ぜひお奨めしたい。