幼年期の終わり
図書館で借りて、恥ずかしながら初めて読みましたよ、ええ、この名作を。
@okemos_PESさんが#sfjpnタグで紹介していたこのブログがとても面白かったので、ご指示通り(?)GW推薦図書にしたのです。
- まず、65年も前に(1953年)本書を書き上げたクラークの想像力と直観には脱帽です。上帝(Over Lord)に上霊(Over Mind)とは。
- 人類全体が「未来の記憶=予感」を「過去の記憶」として共有するなんて話も、痺れるね。
- クラークの(科学的知識に裏打ちされた)想像力と直観の産物であるこの物語が半世紀以上人類に好まれ続けているという事実は、僕らのこの「予感」に何らかの根拠を与えてくれそうで少し恐い。「宇宙が人類のための場所ではないことを知っ」てしまいそうで。
- 直観とイマジネーションは、ある一つの層から次なる上位の層(=包括的全体あるいは意味)を生み出す主軸である(ということは、知と存在の主軸である)。が、それらはいったい"何かという問に答えるべき言語を既成の近代科学は有していない。" by 栗本慎一郎
- 暗黙知理論に基づけば、常に上位の層に向かうようこの直観/イマジネーションを出発させた何らかの力(場の中心の最初の力 by M.P.)があることは明らかで、上帝(Over Lord)ですら人類同様にこの力に基づいて研究を進めている。
- 栗本慎一郎はこの場の力をX(ラージエックス)、つまり仮の未知数としていったん置いて、思考を先に進めよと言う。Xが例えば一つの巨大で抑圧的な生命体で、人類はその生命体により暗い牢獄に閉じこめられていることがわかったとしても、そう確認されて初めて拓ける人格的なコミットメントがあり得る、というのが1988年の栗本だ。
- 『幼年期の終わり』に唯一不満があるとすれば、自分たちが上霊(Over Mind)あるいは宇宙にとって不要な種だと知らされた後の、人類の見苦しいまでの生への執着具合が一切記述されないところだ。もはや主体的ではあり得ない状況下で我々にはどんな主体的な選択肢があり得るのか。死を選んで終わりにするとはとても思えない。次世代の種との交配実験や人(?)体解剖、上帝(Over Lord)にだけ感染するウイルス製造などなど、生き残りを賭けたMadな展開こそ人類の本領発揮ではないだろうか。
女は二度決断する
観てきました。ヒューマントラストシネマ有楽町。朝9:20の回でしたが、200席のシアターが3分の2ぐらい埋まっていました。
ファティ・アキン監督のインタビューはサイゾーのこちらをどうぞ。
全体は3幕で構成されている。テロで夫と息子を失う第1幕。容疑者およびその弁護士と法廷で争い判決が出る第2幕。で、邦題の通り二度決断(!?)する第3幕。
主演女優ダイアン・クルーガーの一人芝居のような映画でしたが、素晴らしい演技で2時間があっという間でした。ドイツ語原題の「Aus dem Nichts(どこからともなく)」を「女は二度決断する」としたのは配給会社の苦労の跡で、「どこからともなく」じゃ観客も集まらないだろうなぁ。
ネットをググると映画のラストは賛否両論。私は少し不満。無差別テロという理不尽で始まる映画なのだから、最後も理不尽に終わって欲しかった。例えばだけれど第3幕途中で彼女は買い物に行くのだが、クルマに戻ると夫と息子の命を奪ったものと同じ爆弾で爆発する、とか。で、第2幕の法廷で検視官が息子の遺体の状況を証言したのと同様のひどい有様の彼女の遺体が映し出されてend(実際、この買い物のシーンは長回しで何か起きそうな緊張感漂う場面だった)、みたいな。
ヒューマントラストシネマ有楽町の上映作品は相変わらず渋い作品ばかりで、公開中の残り2作品も面白そう。年会費1,000円の会員になると-500円で観ることができて、2本見れば元が取れるお得な優待サービス。受付が混んでいて今日は諦めたけど、平日夜に行って会員申込をする予定。
Amazon Echo:WiFi設定時のエラー1
買いました。年末に。
Amazon Echo (Newモデル)、チャコール (ファブリック)
- 出版社/メーカー: Amazon
- 発売日: 2017/11/15
- メディア: エレクトロニクス
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Alexaアプリをスマホにインストールして設定作業を開始したのだが、Echoと自宅WiFi接続が何度やってもうまくいかない。Alexaアプリのamazonアカウントをいったんサインアウトしたり、デバイスをいったん削除したり、PCのブラウザベースでインストールを試したり。。。簡単に使えるはずじゃなかったのか~!
で、ググってみると「amazon.comに持っていたアカウントを日本アカウントに結合している場合に出る症状」という記事がいくつも。これだ。俺もやってるよ、結合。
Amzonのサポートに12/30(土)の17:00ごろ電話して状況を説明、アカウント結合がやはり怪しいとのことで、もしすぐ使いたいなら新しいAmazonアカウントを作ってそのアカウントでAlexaアプリからEchoを登録してくれ、とのこと。
年末年始にEchoで音楽を聞きたかったので、Amazon PrimeとAmazon Music Unlimitedにも登録し直し。どちらも1ヶ月間無料なので損はしない。
新アカウントで確かに設定は完了。大晦日と元旦で使い倒し。
手放せなくなるなぁ、これ。
で、Amazonのヘルプデスクからメールが届いた。
このたびはEcho端末で発生した問題について、お客様にご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。
当サイトでの調査の結果、アカウント結合を行ったアカウントでEcho端末を利用する際に、問題が発生することを確認いたしました。現在、この問題は修正されていますので、お手数ですが、AlexaアプリでEcho端末をいったん登録解除し、アカウントに再度登録のうえ、ご利用ください。
このたびご迷惑をおかけしたお詫びとして、ささやかですが、500円分のクーポンをお客様のアカウントに登録させていただきました。次回のご注文時にご利用いただけます。
よっしゃあ!
Echoは既存アカウントに紐付けし直し、temporaryで作成した上記アカウントを閉鎖。この「閉鎖」がAmazonメニューからはなかなか見つけづらい。ボタン一つで閉鎖はできなくて、チャットでヘルプデスクに繋ぎ、事情を説明し、3分ぐらいでアカウント閉鎖は完了。
全体として、Amazonの対応はスピード含めて満足できる品質だった。
パンツをはいたサル:増補版
「追補」が12ページ。せっかく先生が出したのだから、何か反応は残しておくべきだろう。
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30年前に書いた本編に修正は必要ない。ただ、パンサルでの分析をベースに21世紀の予測をしておくべきだった、とのこと。具体的には、
- トランプ大統領誕生を俺は予言してたぞ
と言いたいのだ!それは『パンツをはいたサル』で述べた社会構造や人間の感情構造の理解やそれらについての現代史的理解に基づく(論理的な帰結だ)。
一体どういう理解をすれば(ができれば)、先生のように正確な未来予測ができるのか。ここ数年先生が繰り返し主張していて、全く比喩ではないのだけれど一切まともに取り上げられない、
- 社会は生命体だ
という視点が重要かつ根源的だ。社会成員たる人間や個人の集団の一つ上のレベルを形成し、(我々個人や企業や政府やマスコミや独裁者が変えようと思っても変えることができない)独自のシステム/原理/生理を持っているものが社会なのである。経済人類学が示す沈黙交易や互酬/再分配/交換もそうしたシステム(関連態様)のひとつだ。
生命体としての社会は、政治制度をも誘導し自分の意思に合致したものを舞台上に押し上げる。その際、大衆に命令を出す手段としてヒトの集団的感情や熱情やエロス、すなわち快感(或いは不快感)に働きかけてくる。エロスとはもともと社会がヒトを一定方向に動かす手段として生まれたし、同じような働きを持つ手段が神話だ。世間に広まる噂話に一定のシステムがあることも同根だ。
(ここまで単純化して説明できるようになったことこそが、30年の成果でもある。)
ではこうした基礎的な認識を下敷きにすると現代史はどのように理解することが可能となるのか。現代史で力を発揮し世界中に広まった「正義の思想」=マルクス主義や共産主義、そこから派生する人道主義や民族自決主義、極端な環境保護や反原発、平等、平和、移民無差別受け入れなどは、社会が広めようとしたから広まったものであり、人間が求めたものではなかったということだ。本音とは異なることを強要されているのにそのことに気づけなかったというのである。20世紀はいわば正義と信念が尊重され支配する世紀に「されてしまった」のだ。
従って、そのカウンターである本音の行動主義が力を持つこともまた十分予測可能となる。トランプもプーチンも超特別に有能だったから選挙に勝ったのではない。言葉の正義に対する(カウンターの)本音の行動主義が彼らを勝たせたのである。
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以上が追補の要約となる。村上春樹はエルサレム賞のスピーチで「壁(システム)と卵」の暗喩を用いたが、そこでいうシステムにこれほどの射程があるだろうか(いや、ない)。断然「ウチの」栗本の勝ち(?)だ。w
栗本ファンならぜひ原書を入手して(たった12ページを)堪能してほしい。
KUNILABO バタイユ入門(2)
続き(第1回の感想はこちら)
第2回目の課題図書。
せっかくの講義なのに、読んだことあるのは二人だけだった。みんな、何しに来てるのかね。もったいない。
ちなみに、ちくま学芸文庫からでている下記は、『呪われた部分』の準備稿の日本語訳で、中身は全然違うんだって。私もこっちは未読。
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,中山元
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2003/04
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 41回
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さて授業はというと、つまらなかった。
- バタイユが有用性にこだわっていたのはわかるけど、そのこだわりの説明ばかりで、「普遍経済学の試み」について講義不足。
- 「呪われた部分」とは結局なんのことなのか、先生の理解を聞きたかった。死の徴であり聖なるものでもあるこの「呪われた部分」こそが、精神的にも物質的にも過剰の源泉なのでは?
- 目的ー手段関係から解き放たれているかどうか、どうすれば解き放たれるのかという議論ばかりで、うーーん。。。それがバタイユのこの著作の価値なのかなぁ?
- 課題図書後半では、この「呪われた部分」が人間の社会でどのように現出し恒常的に消費/消尽されるのかについて述べられている。個々の人間にとっての呪われた部分と社会全体にとっての呪われた部分(しかも文化によって大きく異なる)は同じなの?違うの?なぜ社会/文化によって違うの?
来月は『宗教の理論』。仕事早めに切り上げて渋谷まで通ってるんだから、もう少し刺激が欲しいな(贅沢)。
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,湯浅博雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2002/11
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 13回
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七分間
若きヒロインの性を赤裸に描き、長らく発禁となっていた『七分間』が、遂にアメリカで出版された。が、その直後に一書店主が猥褻文書販売の廉で逮捕され、さらには、折から婦女暴行事件を起こした若者が、犯行は『七分間』に刺激されたものと自供する。あくまで無実を主張する出版責任者サンフォードは、友人の弁護士バレットに弁護を依頼。バレットは自ら『七分間』の真価を確認した後、強力な後盾を擁する地方検事への挑戦を決意した!
渡部昇一がオススメしていたのでamazonでポチって一気読み。大変面白かった。
Irving Wallaceという最も筆力のある現代アメリカの推理作家が、ポルノ問題をテーマにして傑作を書いた。その題名はThe Seven Minutesいうのであるが、実際この小説を読みはじめて三分の一ぐらいまで行ったら、それを手から離すことが難しくなる。ウォレスの小説はいつもそんな具合なので、忙しい仕事を控えた時には手を出さないことにしているのであるが、ついうっかりThe Seven Minutesに手を出したため、例によって仕事に支障をきたしてしまった。
これは推理小説であるから筋をのべるわけにはいかないが、ポルノ小説事件が起きるとき、それを問題にする側はどういう意図を持っているものであるか。出版社はどういう反応を示すか。また実際の裁判では検事側や弁護人側はどのようにして陪審員を動かそうと努力するか。その虚々実々がうかがえて、アメリカの社会の理解を深める意味でも面白い。もちろん著者のウォレスはポルノに関する古今のエピソードを集めてそれを弁護士に使わせているから、それだけでも大いに参考になる。
『弁護士マイク・バレット』としてシリーズ化しても良いぐらいの魅力的な登場人物たちで、日本語訳も見事。訳者の村上博基のあとがきによると、アーヴィングはハイスクール時代からその文才を発揮しており、第二次世界大戦期には空軍に所属し、『きみの敵、日本を知ろう』という戦時教育映画制作にたずさわったりしたようだ。
渡部昇一は本書を「四畳半襖の下張」事件最高裁判決に絡めて引用している。
四畳半の何とかという作品がポルノであるという判決が下ったようである。実物を読んでいないから何とも言えないが、やはりこの裁判は時代遅れなのではないかと思う。
『四畳半……』の弁護士はこの本のことを知っていたかどうか。ここに出てくる弁護士の用いた資料を巧みに使ったら、案外、無罪の判決が出たかも知れないのだが、などとも思うのである。
『四畳半……』の判決を下した最高裁判事 栗本一夫は栗本先生の父親。憲法21条と刑法175条は矛盾しないとした。一方、「タブーは禁じられるからこそタブーであり、それを侵犯し、人間の精神が燃え上がるために設定されている」というのが栗本先生の言で、父親の判決は経済人類学的にも正しいとしている。
ある社会で何を猥雑とし禁書とするかは法社会学的に興味深いテーマだ。アーヴィングは本書でローマ教皇庁の禁書目録を披露している。フロベール、パルザック、ダヌンツィオ、デュマなどの作品が不道徳の故に含まれているし、教義的によくないとして、ロレンス・スターンの『センチメンタル・ジャーニィ』、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をはじめ、ベルグソン、クローチェ、スピノザ、カント、ブラ、サルトルなども入っている。宗教的にも道徳的によくないとされているアンドン・ジッドや、英文学ではリチャードソンの『パメラ』もある。渡部昇一は、
いずれも今の日本の学生が読んだら「よく勉強した」とほめられるものばかりであり、道徳基準の相対性を示す好例である。
と指摘する。確かにね。笑
裁判終了後、本事案で敵対し異なる真実を主張していた地方検事にバレットは次のように語る。
たたかうべき真のたたかい、それは性交描写や四文字語の使用に対してではなく、黒人を<ニガー>よばわりしたり、意見の合わぬ相手に<アカ>のレッテルをはるような猥褻行為にたいしてだ。真に猥褻なるもの、それは相手が自分とちがうから、あるいはちがう思想を持つからといって、棍棒で追いまわしたり迫害したりすることであり・・・偽善と不正直をウィンクひとつで通すこと、物質的目標を人の生きがいとすること、豊かなる国の貧困に目をつむること、星条旗と父祖と合衆国憲法にリップ・サービスをしながら、不正義不平等を許すことだ。これが私の敵とする猥褻行為だ。
KUNILABO バタイユ入門(1)
【授業予定】
第1回 『内的体験』「不可能なもの」について考える
第2回 『呪われた部分』経済と贈与の関係について考える
第3回 『宗教の理論』現代社会における「聖なるもの」を考える
第4回 『エロティシズム』禁止と侵犯からエロティシズムを考える
『内的体験』は事前にざっと流し読み。ロンドンでベルクソンに会ったら「小心で小男で」落胆したって書いてあって、笑った。
佐々木先生は付箋をたくさん貼った原書を持ち込んでた。研究者はさすがだなー。
で内容はというと、真面目で普通。第1回終了後の生徒とのtwitterのやり取りでは、
昨日は「入門」の割には小難しい話になってしまったので、次回はもう少し分かりやすい話にしようと思います。
とのことだが、そんなに小難しいとは思わなかった。
バタイユの『内的体験』はそこそこ分厚い本だが、同じところをぐるぐる逡巡していて明晰とは言いがたい著作だ。佐々木先生によると「敢えてそういう表現をしている」とのこと。なぜなら、ヘーゲルが完成させたロジカルな形而上学の体系では「深淵」「内的体験」に触れることができないからなんだって。
でもそれって栗本風にいえば「ヘーゲルに対する単なるカウンター」でしかなくて、例えば
- 結婚という制度がキライなので婚姻届は出しません!
とかたくなに主張して、見えない制度を克服した気になっている幼稚な思考と余り変わらない。そんなカウンターじゃ何も新しい達成はないよね(バタイユの意図はそうじゃないのかもしれないけれど)。
言語的に徹底的に明晰に言い切って言い切り続けて、それでもなおどうしても表現不可能な何物か(=深淵/内的体験)が存在していることをあぶり出す。栗本先生は意識的にそういう戦略を採っていた。
僕らは如何にして深淵に触れえるのか。アルコールやドラッグの力でも借りるのかというとそうじゃない。バタイユによれば「理性の力を借りなければ至りつくことはできない」のが「深淵」であり「暗黒の白熱」だ。前述の栗本戦略を指しているようにも思える。皆ヘーゲルにならないと到達できないのだろうか。ハードルが、高い。
別の個所では「自己が自己を犠牲にするとき」自己と全体の融合が生じ、深淵に一歩近づくと言う。これはどういう状態なのか。
そもそもバタイユが「内的体験」を考え始めたきっかけは、メンタル不調でカウンセリングを受けた際に医者にもらった次の写真だ。
見るもあさましい凄惨な姿は血で縞模様をなし、一匹の雀蜂のように美しかった。
今では有名なこの写真。受刑者の表情は苦痛と至福の表裏一体にみえる(一説には受刑者はアヘンを吸引させられているという)。供犠。生贄。端的に言って「自己犠牲」「全体との融合」の一例がこれなのだ、きっと。
第2回は私の好きな『呪われた部分』。楽しみだ。
- 作者: ジョルジュバタイユ,Georges Bataille,出口裕弘
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1998/06
- メディア: 単行本
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